希望を捨てないで

2月22日、ニュージーランドのクライスト・チャーチ市でマグニチュード6.3の地震が起こり、26日現在で死者123名、行方不明200人以上と伝えられています。単純に神戸の震災と較べれば、被災数はその何分の一以下でしょうが、クライスト・チャーチ市は人口は37万人とかですから、この直下型地震が日本の大都市で起こったとすると、途方もない被害となったのではないかと思います。わたしたちは数名の二ュージーランドの方々とかつて交流がありました。総じてニュージーランドの方々は穏やかで、とても親切な人々が多く、若者の語学研修やホーム・ステイ先として、安心して送り出せる大きな理由だと思います。わが家の長女もかつて高校生のとき一ヶ月ほど北島のオークランド市で語学研修に出かけたことがありました。けれど今回の地震に先立って、昨年9月3日にマグニチュード7の地震が一帯を襲い、地震の規模の割には、数名の方々が怪我をしただけだったと伝えられました。

今回の地震はその余震と考えられるとも伝えられました。ニュージーランドは地震についての研究もすすんでおり、将来の何らかの地震への予測や備えはそれなりに進めており、今回ひどく崩壊した一帯も15年から30年かけて耐震補強をする予定の建物だったと新聞は伝えています。これほど巨大な地震がここまでの被害をもたらすとはだれも考えられなかったと言うことでしょう。日本において東海地震の発生予測は30年以内に84%といわれ、今日にも明日にも起こっても不思議はない、といわれますがそれをどこまで現実的に受け止めるかは、人間の感覚がついていけないというところではないでしょうか。

自然災害の規模というものは、人間の感覚をはるかに凌駕するものです。科学的な予測が立てられても、人の感覚はそこに及びません。<ノアの洪水>を予告された当時の人々もそうだったのではないでしょうか。しかしノアはそれを正しく聞き取っていた。人は災害を軽く見る習性が身についています。原子力発電所が排出する廃棄物処理は地下数百メートルに格納するそうですが、これが無毒化するのになんと2万年かかると 聞きました。人間の文明史は5000年です。それを4倍も上回る長い年月の毒を目先の便利さ追求のために、2万年後の世界に押し付けるというのも、あまりに想像を超える出来事ではありませんか。地下に埋めつくした放射性廃棄物が、火山の噴火とともに世界中にばら撒かれることはないのでしょうか。いや未来ごとだから、解決も被災も、未来の人間に託せばよいのでしょうか・・・・。ナニがなんだかわけが分からなくなりそうです。

しかしあの大洪水のあとで、神はノアに語られます。「神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。『生めよ、増えよ、地に満てよ』」(創世記1:28) 一方で滅ぼし、一方で祝福する神のみ手。災害はあってほしいものではありませんが、災害から人は学ぶこともあります。人は限りある存在だからこそ生きることは尊く、美しい。災害を通して人があまりに傲慢で、支配的になることのないように、自戒することもできます。地球規模の洪水という災害に、落胆し、希望も見失ったであろうノアの家族に、神は未来を信じさせ、未来に向かって力をつくす生命力を与えたのです。

今回の地震で怪我をしたり、行方不明の方々に、女性が多いことに驚かされました。新聞、TVでも多くの人々が語っているように、将来、英語を使って国際的に活躍しようという高い志をもった女性たちが多くおられたことです。一人でも多くの方々が救出されてほしいと心から祈ります。同時に、一人でも多くの方々が、そうした志に立って、その思い―たいまつをうけついでほしいと思います。われわれは限りある存在ですが、それだけ生きることは意味もあり、尊いのですから。

(2011年02月27日 週報より)

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