心と心がつながれる
先週我が家でちょっとしたIT革命(?)が起こりました。きっかけは、長年私に仕えてくれたマックのノートパソコンがほぼお勤めを終えたのです。そこでパソコンのことで何かあると、風のように飛んできて、お世話してくださるKさんに相談して、新たなパソコンに乗り換えることにしたのです。慣れるまで多少の努力が要ります。しかし、新しいパソコンのパワーと機能は驚きでした。そして今までトライしたくても、機能不足で出来なかったかたったことが実現しました。つまりIP電話で国際電話をすることです。
イタリアにいる娘とは、国際電話になります。e-mailでやればいいようなものです。ところがどういうわけか、相手の肉声を聞くことになります。ついこちらも話が長くなります。ハット気がついて「もう切るよ!」といっても電話の向こうでは聞こえなかったかのように話し続けます。毎月テレコムに払い込む金額は1万円ほどでしょうか。もちろんこれは私のポケットから出て行きます。IP電話はインターネットを介するとかで、その分の通信の費用はかからないのだそうです。しかも画像つき。早速ヤマダ電気へ行って、専用のイヤフォンとカメラを購入して、早速、つないだのです。私のようなIT音痴でもすぐにつながるようにできています。日本でこれを運用しているのは、今、お騒がせの<ライブドア>という会社です。何があったかはわかりませんが、少なくもこのIP電話に関するかぎり「ライブドアさん、ありがとう。」私は心からいいます。
人と人のかかわりとは不思議なものです。親子なのだから、べつに電子メールで十分ではないか、と人は言うかもしれません。でも特に用事があって、電話をするというわけではないのです。家族でも、友人でも、言葉を交わそうとするのは、その内容も大切ですが、時には、内容以上に、心を伝えようとしているのです。それは声を聞きたい、相手の顔を見たいという、当然の欲求に発展します。かくして我が家のIT革命は一歩発展しました。いまは階上の連れ合いと、イタリアの娘と、わたしとの三人が、パソコンの画面で話し合うことが可能です。
ITは、かつてなかった通信の革命をもたらしました。しかし、人間の現実のほうは、ますます、たがいの心と心の距離が、離れつつあるような気がします。言葉を交わすこと、心を交わすことの苦手な人が増えています。人は長い時間をかけて育ててきた友情を、一夜にして損なうことがあります。ITがあるから人の心が遠くなったのでもないし、ITが人の心を結ぶわけでもありません。相手を思う心のないところに、心は結ばれるはずもありません。イエスキリストにおける神の愛は、愛されるにふさわしくないもの、むしろ敵を愛する愛だと、いわれます。そういいながら、そのことを自分の問題だとは少しも思わないのが、われわれの心の闇です。
講壇の上から、当然のものとして語る牧師も、耳にたこができるほど聞かされている会衆も、実際には少しも身についていないこのイエス・キリストの心。年齢は進んでも、少しも上手に生きることのできない現実の中で、自らが心に根の深い問題を抱え込んでいることは少しわかるとき、人は、神に目を向けざるを得ないのです。これを軽視して、どこに生きる道があるというのでしょう。
(2006年04月30日 週報より)