ある春の出来事
最近はテレビのニュースを見ることが苦痛になってきます。会社乗っ取りのマネーゲームとか、一国の指導者による日本市民拉致を、解放する手段もなく、年月だけがただ過ぎ去ってゆくいらだち。私や家族がそうした問題の犠牲者だったら、わたしはとても正常心を保つことなどできないでしょう。私は生かされて生きているのですが、できれば出会う全ての人と、信頼や愛でつながれたいと願っています。とはいえ、こうした私の感覚や、性格が嫌いと言う人もいるかも知れません。なかには、わたしのカオが好きになれないという人もあるかもしれません。それはそれで少しも構わない。誰にも好嫌の感情があります。でも、少なくも、こちらから誰かを嫌うというようなことはしないように、心がけたいとは願っています 。だから繰り返すけれど、できれば出会う全ての人と愛と信頼でこころつながれたいと願っている。しかし、一方で、多くの人が、人生が願ったとおりにならなかったと悔やんでいる。単に人生がうまくいかなかったというより、過去と現在に味わってしまった苦々しさを持て余している人々が、少なくはない。だから、町を歩くとこれ以上不機嫌な顔はないと思われるような顔にもであう。そして毎日のように事件が起こる。
この時代なぜ教会が必要なのかというと、人生には不幸や不条理が尽きないけれど、決してそれだけでは終わらない、不幸や困難の背後に、必ず人をその状況から救い出したり、納得を与える神がいることを、伝えるためです。もう20年も前になってしまったけれど、わたしは人生に疲れ果て、深い深い孤独のなかにいた70歳を過ぎた老女性に出会いました。彼女は放蕩の過ぎる夫から、ついに梅毒を移され、病菌が全身にまわり、手足はかろうじて切断を免れていたものの、かなり壊死が進んでいたのです。そして死が近づいていました。口から出るのは終日、周囲を呪い、人生を恨む言葉だけだった。
その病室に、戦前の由木教会を知っている、敬虔なキリスト教徒のAさんが心臓をやんで入院したのです。私は、何度もAさんのお見舞いにいくなかで、不機嫌で不快なオーラを、かもし出しているその老女性に会いました。Aさんは早速となりのベッドのにいたその不機嫌さんのために祈り始めたのです。やさしい言葉、おいしいお菓子のおすそわけを折ある毎にしたのです。でもそのたびに戻って来たのは野獣のような怒りといら立ちでした。でも、その老女性は親切な言葉や行為にどう対応していいか分からなかったのかも知れません。長らく優しさに触れたことがなかったのですから。でも心のなかでは確実に何かが変わっていたのです。その方が亡くなる二日前でした。Aさんの思いがついに彼女をとらえ、キリスト教信仰を受け入れることを表明したのです。そしてAさんはこういいました。「これは私が教会にいくためにとっておいた履物です。これをあなたに差し上げるから、あなたはこれをはいて天国に行きなさい。」それは和装のための高価な美しい履物でした。老女は涙を浮かべて「もったいない。履かしていただきます。」それは人生の最終点の出来事でした。彼女は真の愛、何の見返りも要求しない愛を知ったのです。けわしい憎悪とのろいにかけられていたような怒りは老女の顔から氷解したのです。最後にたどり着いた平安な心、感謝のなかで地上では履けなくなった足に、その美しい履物をつけて、この人は天国に旅たったのです。
この話は、直接Aさんから、数日後に私が聞いた話です。けれどそれから一月ほどしてAさんも帰らぬ人になりました。やはり、人生には、神を信じる理由があります。そして信じたら、揺るがない確固とした生き方を生きるべきなのです。一日も早く。
(2005年04月03日 週報より)