分別がスーツを着ている・・・
9月の月を迎えました。 記録的な高温の7月、8月でした。あまりに暑いからでしょうか、夏には平素のその人の立ち居振る舞いとは、あまりにかけ離れた行動をしでかしてしまう人がいます。
約30年前の6月に、 羽田を発った函館行きの全日空機が正午前、 山形県上空で53歳の管理職銀行員によってハイジャックされたのです。その日、当の銀行員は病気療養中での届けを出しての犯行だったと伝えられました。
それまで日本では、航空機が乗っ取られた事件と言えばダッカ事件くらいで、思い出すにも記憶にはないと言ってよいくらい珍しい事件でした。事件が伝えられると、反響が驚きとともに伝えられました。その日の夜、 事件を伝えたニュースキャスタの言葉は今でも私の耳に残っています。
『分別がスーツを着ているような管理職銀行員がなぜこんな事件を起こしてしまったのでしょう?』
当時の私も似たり寄ったりの年齢。この人が心を病んだとしても、それがこれ程の事件を引き起こす直接的な引き金だったと言えるのかどうか。よく分からない出来事でした。
そも、「あなたは分別をわきまえた、 思慮深い人ですか?」 と問われたら、人はどう答えるだろうか。人は、他人のことなら分別に白黒つけることは、さほど難しくはないかもしれない。でも自分の問題となれば分別は簡単ではなくなります。この頃の日本はバブル経済下でした。ある大銀行を勤めあげた私の友人のA君は「あの頃は手が後ろに回りかねない事に手を染めたときもあった」と語りました。バブル期に日本の経済界も分別を手放しかけたことは明らかです。
旧約聖書の知恵者ソロモンは「民を正しく裁き、善と悪を判断する・・・・聞き分ける心を」と神に求めました。<権力>でもなく <財力>でもなく<聞き分ける心>を求めたのです。 誠に思慮と分別に満ちた志でした。しかしながらこのソロモンの心はたちまちにして消えます。人の心は、しばしば変節するのです。
信仰生活は一見して代わり映えしない繰り返しに見える。けれど、まず一度、 聖書を通読してみよう。聖書の読み重ねを繰り返す中に聖書の世界が広がってゆきます。
2023年9月3日 礼拝メッセージより