作成者: Yugi Church

記憶する文化

皆様のお許しを戴いて、娘の働いているレストランホテル Il Pellicano を訪ねるとともにドイツのベルリンと近接しているライプチッヒ、ドレスデン、ヴィッテンベルクを訪ねさせていただきました。いずれもルターとバッハと1989年のドイツ統一、自由化と密接...

記憶し続けること

劇場で映画をみることは、1年に数回あるかないかという程度の私ですが、ときおりこれは是非、見なければと思いで出かける映画があります。先週「あの日あの時 愛の記憶」というドイツ映画を見ました。そういえば私の観た映画はポーランドが物語の舞台というものが不思議に多...

ナショナリズムとキリスト教

北の島々に「実効的支配」をなす国の指導者が視察に来るというので、厳重抗議である。一方で南の島々に「実効的支配」をなす国があえて土地公有化を図れば国際問題になるという真っ当な懸念を表明した民間出身の外交官に対しては、厳重注意である。そうした場面で「領土問題は...

平安

身を横たえて眠り、私はまた、目覚めます。主が支えてくださいます。 詩篇3篇5節 不安と苛立ちが社会に充満しています。しかし神は信仰者に平安な心を授けられます。信仰者といえど、動揺せざるを得ないような、不安や悲しみ、憤りと痛みが引いては寄せる波のように、足も...

被災地南相馬を訪ねて

フェイスブックの友だちであるケリーさんに誘われて思いがけず南相馬を訪ねることができました。彼女との出会いはもう10年以上前のことです。教会にお子さんと来られ、カトリック教会を探しておられたので、高幡カトリック教会を紹介させていただきました。その後由木教会で...

信仰の光を通して

人は当然ながら自分で感じ取り、経験したことだけを<真理><正義>と認めて受け入れようとする傾向があります。また自分の目で見て、自分の手で触れて確かめないことがらには不信感をぬぐうことが出来ないのです。もちろんそれが一方的に良くないというつもりはありません。...

見方を変えて世界を見ると

一冊の旅行記をまた読み返しています。「アウシュヴィッツで考えたこと」宮田光雄著、1987年、みすず書房刊がそれです。著者は1983年に当時の東ドイツの教会からの招きを受けて、東ベルリン、ライプチッヒその他当時の東欧圏の国々を訪ね、それを一冊の本にまとめあげ...

世界はひとつ

主イエスは福音の宣教をその生涯の使命となさいました。そしてその福音はたしかにまずユダヤ人に向けられましたが、決してユダヤ人だけに限られたのではありませんでした。イエスの福音は最初から人種と国境を越えたものでした。国家として政治的な実権を奪われていた当時のユ...

重荷を負いつつ

重荷について新約聖書にはさまざまに語ります。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)「めいめいが、自分の重荷を担うべきです。」(ガラテヤ6:5)「私たちは重荷を負ってうめいています。」(2コリント...

現実の後ろに

聖書をまず手にした人々は、創世記の冒頭を読み始めます。そこには神が世界を創造し、その世界をこそ、神が現実を見てよしとされたと述べられます。創世記の記者はそう書くのです。じつはこの創世記が記述されたのは 紀元前6世紀のことであることが明確になっています。つま...