語り続けよ、黙っているな
ホーリネス教団の10年間の教勢の歩みが3月末に発表されました。それによると、1999年から2008年までの教勢は、
会員数 | 12,893人から12,401人 |
教会数 | 167から166 |
礼拝出席者 | 5523人から5242人 |
教会学校出席者 | 1697人から1269人 |
受洗者数 | 245人から158人 |
献金総額 | 840,095,940円から746,530,558円 |
とあります。数字は物語ります。雄弁に。
こうなるとわたしたち・牧師たちの表情は当然さえないものとなります。教勢というものは牧師ひとりの責任とも言えませんし、伝道は神の働きです。<結果の次第は、神に任せ、堂々としていればよいのだ。・・・>というわけにも行かないのです。伝道の成否は様々な要因があるに違いありません。その時々の社会的、経済的状況も大きいのです。その上最近のようにカルト宗教があちこちで不祥事を引き起こすと、宗教に対する一般の信頼は大きく揺らぎます。しかしそれにしても教会の不振は、最終的には、牧師に責任があるとしか言いようがないのです。
そうしたことも一つの原因をなしているのでしょうか。最近牧師職にある人々に心を病む人々が確実に増えています。私は困難な中にある地方教会の牧師に、夏に上京して由木教会に滞在してどこかの精神科に受診を勧めるケースがあります。地方ですと教会近くの精神科に受診するのに差しさわりのあるケースもあるようです。
歴史における最大の宣教者は、言うまでもなく<使徒パウロ>です。しかしこの人でさえも<衰弱し、恐れ、不安に取り付かれていたとき>がありました。コリントに到着したときです。これを現代的に言い換えると<うつ状態>であったと言うことです。パウロはコリントに行く前には、アテネのアレオパゴスで説教をし、ギリシャの知識人に向かって伝道をこころみたのです。しかし満ち足りたインテリの心に、パウロの話は届かなかったのです。いわば伝道は惨めな失敗だったのです。
伝道がうまくいかないとき、伝道者は落ち込みます。これでも人生をかけているのですから、人生の意義を失い、神から見捨てられたような気分に落ち込んでも不思議はないのです。パウロは弱りはて、コリントに到着しました。でもここでもユダヤ人による様々な邪魔だてにあい、ユダヤ人から口汚く罵られ、反対を受けます。そして、ついにキレます。
「あなたたちの血は、あなたたちの頭にふりかかれ。わたしには責任がない。今後、わたしは異邦人のほうに行く。」
使徒言行録18:6
こう言うことをいえるのがパウロの強みです。
でもパウロの最大の強みは、神の言葉を聞くことのできたことです。パウロはコリント滞在中に神の語りかけを聞きます。
「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる。・・・この町には私の民が大勢いるからだ。」
使徒言行録18:9
コリントの伝道は、伝道の天才(?)パウロにしても、この上なく困難に思えたことでしょう。パウロでさえ沈黙せざるを得ない状況に追い込まれたのです。でもコリントこそ伝道を待つ「わたし(神)の民」が大勢いたのです。
現代教会のおかれている状況は、ホーリネス教団のみならず、教団教派をかぎらず、困難です。ですがわたしの実感は、教会こそ日本社会でもっとも大切な機関です。毎年3万人もの自殺者を生み出す異様な社会。非宗教化、世俗化といいながら、人々の心は、真の信仰を求めています。無論キリストの福音なしに人生を充実させることなど不可能なのです。
人生には自分の都合のいいことのみ立ち起こると考える生き方には、まさにその反対のことしか起こらないのです。沈黙することなく、主に励まされて、キリストの福音を伝えようと思います。
(2009年06月07日 週報より)