海南島で麦の穂を摘む

ちょうど1年前に、中国の最南端に位置する海南島というところにある用件で行く機会があった。いろんな意味で、たまげるような様々な経験をした。格好良く言えば、カルチャーショックというやつである。

その中のひとつに、様々な交通事情がある。まず普通の人々の移動手段として一般的な自動車というものが滅多にない。主要なものは、小型のオート三輪のようなものとオートバイである。このオート三輪のような乗り物は、焼玉エンジンとも呼ぶべき発動機を搭載しているのだが、これが半端な代物ではない。エンジンを始動させるのには、座席の下に取っ手のついた鉄の棒を突っ込んでグルグルまわさなければならない。エンジンがかかるとホッとする。そして凄まじい騒音と振動。幌がついた荷台部分にはベンチが作りつけられ、乗り合いタクシーになっている。これに乗り込んで町の様々な場所に行くのだが、道路には信号というものが存在しない。どのような大きな交差点でも、信号が見当たらない。「左方優先」などという原則もない。交差点に近づくと、警笛を鳴らしつつ進入し、相手がいなければそのまま、相手がいればさらに警笛を鳴らしてお互いに注意しつつ行きたい方向に向かう。
道路には、センターラインも横断歩道も存在しない。交通標識というものがない。そういえば、ガードレールなどというものも見なかった。規則としてあるのは、おおまかな「右側交通」ぐらいである。歩行者も、歩きたいところを歩き、渡りたいところを渡る。危なければすぐクラクションが鳴り響く。だから街は一日中、クラクションの音が鳴り響いている。さすがに空港があるような大都会の入り口には、「警笛禁止」の看板がかかっている。朝も宿舎で目が覚めるのは、南国の賑やかな鳥のさえずりとクラクションの音である。信号がないから、基本的には1時間走っても、2時間走ってもノンストップである。東京のようにこんな裏道にまで、と驚くような場所にまでご丁寧にも信号が設けられており、数十秒ごとに停止させられている社会とは、まるで異次元である。
それぞれの社会にはそれぞれの経緯を経て形成されてきた様々な規則(ルール)がある。それに従うことで私たちの日々の生活は維持されている。2000年前のユダヤ社会にも様々なそれこそ無数とも言える社会的な規則があった。その中には、今の価値観からすれば、何の意味があるのかと思えるような荒唐無稽なものも沢山あった。それは、2000年前のユダヤ社会だけではない。60年ほど前の日本社会だって、教育勅語奉読、宮城遥拝、御真影最敬礼などが国民儀礼として強制されていたのだ。そして現在だって、不起立だけで即処分である。

そうした2000年前のユダヤ社会において、安息日規定は数ある規則の中でも最重要規定であった。それを弟子たちは堂々と破ってしまったのだ。いくらイエスの弟子とはいえ、いきなり当時の最重要規定を踏みにじる行為に至ったとは到底思えない。発覚すれば、それこそ村八分、通常の社会生活からの追放は必至である。子供の時分から安息日規定を守るように厳しく躾けられ、違反者たちがいかに悲惨な生活を送るようになるのか身近に見聞していたに違いない。そうした弟子たちが二度と引き返すことができないというそれなりの覚悟をもってあえてそうした違反行為に至る前段には、彼らの師が身をもって示された安息日における癒し行為、律法学者や町の有力者ではなく徴税人や罪人たちといった人々との交わりがあったわけである。こうした事柄を通じて、最初は古い慣習や価値観に囚われていた弟子たちも、旧来の因習を墨守することでそれなりに保証される身の安全や日々の生活と、イエスが示された新たな教えに基づいて古い規則から解放されることで得られる心の安らぎや自由さを比較検討したうえで、新たな一歩として「麦の穂を摘み始めた」(マルコ2 : 23)。

次の信号をいかに通り抜けるかタイヤをきしらせながら走る高性能な乗用車。オレンジ色のインジケーターが早くなくならないか横断歩道でいらいらして待っている会社員たち。そうした風景を見ていると、どこか遠くから、あのクラクションと焼玉エンジンの音がかき混ぜあって聞こえてくる。

五十嵐 彰 (2007年07月01日 週報より)

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