修学旅行の思い出
私の高校はミッションスクールで、修学旅行は別名「祈りの会」と呼ばれる巡礼の旅でした。携帯電話禁止、トランプのような遊戯物も禁止と旅のしおりに書いてあり、母も「こんな修学旅行もあるのね」と仰天していました。せめてお土産だけでも、と言ってお小遣いを沢山持たせてくれました。
生徒一同バスで羽田空港へ向かいましたが、暴風のために飛行機がなかなか離陸できませんでした。空港の待合室には全員分の椅子は無く、床に新聞紙を広げて座ろうとしたら、「はしたないことです。」と引率のシスターが目を光らせており、友達とお喋りして過ごしました。二度目の遅延発表のアナウンスを聞いた途端どっと疲れてしまい、みんなで通学カバンを枕にして、床でお昼寝をしました。シスターも(これは、やむなし。)というお顔をなさって、何も仰いませんでした。
難を経て無事に到着し、翌日の長崎は青く澄んだ空がとても清々しかったのを覚えています。聖母の騎士修道院のミサでは、豊かな時間を過ごせますようにと神父様が歓迎の祝福をしてくださいました。その後もいくつかの教会を訪れましたが、この地が守り抜き、育んできた信仰がそのまま感じられるような空気に満ちていました。
浦上天主堂では被爆マリア像を見学しました。1945年8月9日の原爆投下で天主堂もろとも破壊され、焼け焦げた頭部のみが残されました。ぼろぼろのマリア様が泣いているように見えます。どうか最後の被爆マリア像でありますように、平和な世界でありますようにと祈りました。
特別に忘れられないのは、二十六聖人記念館です。1587年の伴天連追放令によって捕縛されたキリスト教徒は、耳切り、引き廻しの拷問の末、長崎の地で処刑されました。二十六聖人については事前学習の機会があり、本で読んだときは(殉教なんて恐ろしい、ほかの道があったのでは)と考えていました。実際に訪れてみると、逃げ延びれないほどの非道な迫害があった事実を目の当たりにしました。また、処刑地であった場所は小高い丘にあり、二十六聖人のゴルゴタの丘と自分たちを重ねていたのかもしれない、みんな揃ってイエス様のいる天国に行ったのだな、と思いました。
ところで、なぜだか分かりませんが、当時の私の高校では、芸能人の母校を訪れるというのが流行していたのです。長崎市内にある福山雅治さんの母校に、集団を抜け出して行った友達が数名いました。シスターからは大目玉でしたが、学校の写真を見せてくれました。ちょっとだけ羨ましかったです。
「うちの学校の修学旅行、なんでほかの学校と違うんだろうね」とみんな口々に言ったものです。振り返ると、宝物のような時間であったと思います。
信徒 2023年6月11日 週報の裏面より