新しい年の初め

明けましておめでとうございます。新しい年が始まりました。
この3年はコロナウイルス感染の広がりで対面礼拝が厳しい状況となり、礼拝時間の短縮、声を出しての讃美歌が出来なくなりました。礼拝後の食事交流会、聖歌隊練習、バザー開催も難しくお互いの交流や繋がりが持ちにくい状況が続いています。
3年は長く、高齢者の中には歩けなくなる方、1人で外出が困難になられた方々、引っ越しされた方々、転勤された方がおられます。そのような状況で教会をどうやってキープしていくかが大きな祈りの課題です。
しかしコロナ前には考えもしなかった礼拝のライブ配信、ズームによる祈祷会、会議、集会が始まりました。幸い、この時のために備えられたかのように援助者が与えられた事は大きな感謝です。
コロナ禍で息苦しい中、昨年は4人の方々が洗礼を受けられたことは大きな励まし、恵みでした。4人ともライブ配信、ズーム祈祷会に関りがある方々でした。
コロナ禍、教会とは何かについて考えさせられています。コリントの信徒への手紙一12章に教会とキリストの体との関係が書かれています。

20だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 21目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。 22それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。 23わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。 24見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。 25それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。 26一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。

コリント信徒への手紙一 12章20~26節

神様はキリストを人間の体をとった存在として世に送られ、キリストはその体を通して神の愛を語り、命を捨てて下さいました。教会はキリストの体として世に神の愛を伝える使命が与えられています。

昨秋、3年ぶりに地域のイベント、キャンドル・リバーが開催されました。キャッチフレーズが「ゲストがキャストになる」で参加者がキャンドルを並べ,灯をともし、片付ける参加型のイベントになりました。学生ボランティアが4大学から71名。市民ボランティアとして記名した方々が677名も協力してくださいました。“お客様”から“キャスト”として実際に行動するイベントになり、大いに盛り上がり大変な賑わいとなりました。
キリストの体なる教会を構成している一人一人が限りなく尊くかけがえのない存在です。今年も様々なかたちで教会とつながって参加していただけたら幸いです。

クリスマス礼拝には多くの方々が教会に集ってクリスマスの喜びを分かち合いました。ぬくもりとつながりの大切さを肌で感じました。その日は教会での参加者が多かったせいか、リモート参加者が少なかったです。
今年はリモート参加から礼拝堂に集う人が多くなりますよう祈り願っています。

副牧師 小枝 黎子(2023年1月8日 週報の裏面より)

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