神さま祈ります
イエスキリストの父なる神さま、今日も私たちの切なる嘆願から礼拝を始めさせていただきます。
この朝、教会には切なる祈りを心に抱いて礼拝に臨んでおられる、敬愛する兄弟姉妹を迎えています。
きびしい暑さの毎日の中で、思いがけない痛みを負う病に直面させられた仲間がいます。健康であるとき、人は誰でもそれが当たり前だと思っていました。一日も早く普通の生活に返してくださいますように。また骨折からの回復期にある方が数人おられます。また長い入院生活から解放され、自宅療養に復帰したものの、長きにわたる入院生活で筋力が落ちて、歩行が困難になっている信仰の友が居られます。主イエスはベテスダ池で、もはや歩けなくなった病人に「良くなりたいか」と問いかけました。
時にあまりに長い闘病生活や、病気との戦いで、人は良くなることすら希望を持ち続けることが困難になることがあります。こうして祈る私自身パーキンソン病と診断されました。
幸いにして今のところ日常生活にさして不自由はありません。とはいえ徐々に病は昂進してゆくことが予想されます。人は生きる限り、病むものです。病むことも、生きるあかしであり、生の一つの形態です。今こそあらためて、健康であろうと、病身であろうと、神さま、あなたのことばをしっかりと聞き取ってあなたの足跡に従って歩んで行けますようお導き下さい。この朝、心新しく信仰の決断へと一歩踏み出すことができますように
あなたは「良くなりたいか」(ヨハネ5章6節)と問われますか? お答えします。
アーメン。主よ、みこころに従います。
牧師 小枝功(2022年7月3日 週報より)