子ども礼拝
緊急事態宣言下で残念ながら休止となりましたが、毎週朝9時から子ども礼拝が行われています。少ない参加者で守られている礼拝ですが、隔週で短い時間のお話しを用意しなければなりません。どのような内容の話しをしようかと毎回頭を悩ませます。ひどい場合は当日まで何を話すか決まらず、家から教会に歩いてくる公園の中でようやく決まるといったこともあります。
そうした中で、ある新聞の連載小説に子ども礼拝(日曜学校)にまつわる話しがありました(池澤 夏樹2021年1月10日「また会う日まで」第157回『朝日新聞』)。
主人公はミッションスクールを卒業後に海軍に勤務している軍人のようです。普段はこうした連載小説などを読むことはなく、たまたま読んだのがこの回のみで、はなはだ要領を得ない紹介です。
小学校4・5年生の女子を担当することになった主人公は、私と同じようにどのような話しをしようかと悩み、元小学校の教師であった妻に相談します。
「イエスさまのお話をすればいいのよ」とチヨはあっさり言った。
「それはそうだが…」
「福音書にはいいお話がたくさんあるでしょ。一回に一つ。そして、イエスさまはいつでもあなたを見ていて下さると言う」
「なるほど」(中略)「イエスさまの弟子たちが自分らの中で誰がいちばんかと口論になったことがありました。聞いていたイエスさまは会堂を出てそのあたりにいた子供の手を引いて連れて戻られた。この子がいちばんである。私の教えを何も知らないからこそ、この先いくらでも知ることができる。『ルカ伝』の九章よ」
「なるほど」とわたしはまた言った。
「さっき申しましたが、大事なのは、イエスさまはいつでもあなたを見ていて下さる、というところ。幼い子供が公園で遊んでいるでしょ。母親がベンチに坐って編み物などをしながら見ている。子供は初めは母親の近くで遊んでいるけど、だんだん大胆になって遠くへ行く。それでも振り返ればベンチに母親がいることを知っている。だから安心して小さな冒険ができる。他の子に声を掛けたりして自分なりの世間を広げる。イエスさまも母親と同じなの。見ていて下さるの」」
作者の池澤 夏樹氏自身がキリスト者かどうか確認できませんでしたが、彼のおばあさんは聖公会の伝道師で、フランス文学者であった父親は病床洗礼を受けたようです。
「振り返れば、見ていてくれることを知っている」というところが大切だと思いました。しかし私たちは、時として「振り返る」ことを忘れて、自分の好きなことや思いにまかせてどんどん遠くまで行ってしまうことがあります。そうしたときに、心に蒔かれた種を思い出し、それが芽をだして成長できるように願わずにはいられません。
「振り返ることで、見守り続けている存在を知ること」
これこそが、子どもたちに伝えなければならない大切なことだと教えられました。
五十嵐 彰 (2021年02月14日 週報より)