教会だからこそ
教会について様々なイメージがあります。心高なる聖なる美しさがこめられたものというおおかたの肯定的なイメージがある一方で、現実の教会は、ひどく世俗的で、権力的であったとか。平和を目指したイエスの考えと違って、現に存在する教会は民族紛争やそれに関して行なわれた虐殺にさえ同調的だった、というひどいケースもあります。テロや紛争、武装集団が跋扈するような中で、教会がどこまで教会らしさを貫き続けるかは、たまたまそこに身を置くことになった当事者のあり方や人間性があらわになるところでもあります。
私などはそうした問題の渦中に飛び込んでいく勇気も思想性も持ち合わせませんが、平時の日本の教会も、それなりにドラマティックです。20年以上も前のことです。既に関係する方々は引っ越して、今は、別の場所で幸せに暮らしているある御家族に起こったことです。
その年の11月3日-文化の日に、母親が、その日、外出したいとのことで、5歳と3歳のお嬢ちゃんのお世話を依頼して来られたのです。当時は教会もヒマだったし、お役にたてることだったらなんでも手を出して、関わる人々を増やしたいという思いでしたから、二つ返事でお引き受けして、彼らを多摩動物園に連れてゆき、一日遊んであげて、お母さんが引き取りに来るのを待ったのです。その日、待てど暮らせどお母さんは現われませんでした。彼女は家出したのでした。理由も真相もついに分かりませんでした。ともかく帰宅したのは3カ月もたってからでした。その間の父親とおばあちゃんの奮闘ぶりは目を見張るものでしたし、やがて戻った妻へのいたわりも立派でした。
ひどい鬱状態とともに、すっかり言葉少なになったお母さんですが、ほどなくして新たな赤ちゃんを授かったことが分かりました。カウンセラーや医師たちは中絶を勧めました。服用している薬のこと、母親の体調など勘案して3人目の赤ちゃんを育てることはむつかしいと判断したのでした。でも、中絶は新たなストレスをもたらすように私は思いました。一人のキリスト者のドクターがいることが分かりました。早速その方を御一家にを紹介して、そこに相談に行かれました。「中絶などしないで、神様を信じて、ぜひ、赤ちゃんを生みなさい。」おおいに励まされてかえって来ました。彼女は、生まれ変わったように、神を見上げて歩み始めました。数週間前には口を聞くことさえ困難だったその方が、みる間に力が与えられていきました。赤ん坊がうまれる頃には、この人のどこが病気だったのだろうと思うほどに、完璧に回復なさった。
今は御一家がどこでどう暮らしているかは私は知りません。でもこのまぎれもないキリスト教信仰を土台にして、御一家は新たな家族を迎え、再出発されたのでした。私はそうした個人や家族をいくつも見て来ました。それは教会としてなんら特別のことではありません。神は信仰にたって再出発を心から願う人には、いつでも、誰でもそうしてくださるということです。教会だから、教会でしか起こり得ないことがここにあります。ますます混迷を深める日本社会に、教会が、今日も、存在するもうひとつの理由があります。
(2005年07月17日 週報より)