無敵の権力に滅びを見る

最近家庭集会でダニエル書を読んでいます。

ダニエルたち4人の少年たちは、ユダ王ヨヤキムが即位して3年目(紀元前605年)に、無敵の武力を誇るアッシリヤ帝国のネブカドネツァル王の宮殿に人質として連行されていました。彼らの祖国、南ユダ王国は細々と、続いてはいましたが隣国のエジプトと、ますますユダ王国を侵食し続ける大国アッシリヤの間でどちらに隷属するかを迷うばかりでした。勃興する中国と、大国アメリカに挟まれて右往左往する日本の立場を思わなくもありません。すでにバビロン捕囚と言われる強制連行はBC605年、597年、587年に行われ、最終的にエルサレムが崩壊した596年にとどめを刺すように大規模な連行が行われたのでした。ダニエルと4人の少年たちは第一回の捕囚として、紀元前605年にネブカドネツァル王の宮殿に連行されていました。

ネブカドネツァル王はその際、エルサレムの宮殿と神殿にあった数々の宝物、金製品を略奪したのです。ヨヤキム王はアッシリヤ軍が行う略奪も、連行も、ただ傍観するしかなかったのです。それほど武力の差は歴然としたものでした。しかしついに王は忍耐できなくなったのです。「ヨヤキムは3年間、彼(ネブカドネツァル)に服従したが、再び反逆した。」(列王記下24:1)。歴代誌下36:6には「ネブカドネツァルはヨヤキムに青銅の足かせをかけバビロンにひいて行った。」と書かれています。アッシリヤに反抗して武器をとったのですから、どういう扱いを受けたかは想像に難くありません。

ヨヤキムの王位を継いだのは18歳のヨヤキンです。王位についていた期間は3か月と10日間(歴代詩下36:9-10)。ある日、ネブカドネツァルは軍とともにエルサレムに駆けつけ、残る財宝を奪い、若いヨヤキンを連行し、その後バビロンで35年の長い長い獄中生活を強いたのです。BC562年、ネブカドネツァルが死んで、ヨヤキンはやっと獄中から解放されたのでした。彼はよい王ではなかったと列王記は述べますがなんとも気の毒な人生を強いられた人だったでしょうか。

ヨヤキンに代って王とされたのはユダ最後の王ゼデキヤでした。ゼデキヤはヨヤキムの弟にあたります。彼は「21歳で王となり、11年王位にあった。」(歴代詩下36:11)。ネブカドネツァルはユダを骨の髄まですい尽くしつつあった。こうした危機の時代に巻き起こるのは、当然ながら国粋主義とアッシリヤへの主戦論でした。太平洋戦争開始において、たとえ全面的に原油をアメリカに依存し、工業生産率もアメリカの十分の一未満でも、いざとなれば<神風が吹く>として戦争を始めてしまう。愚かな歴史は繰り返されます。ゼデキヤはその治世の9年目に、ネブカドネツァルに反旗を翻します。その1年半後エルサレムは包囲され、やがてその堡塁を破られ、アッシリヤ軍はエルサレムとユダ全土で徹底した殺戮と破壊を行います。ゼデキヤは捕えられ、彼の目の前で王子たちは殺され、ゼデキヤは両眼をえぐられ、バビロンに連行されます。

ダニエルたち4人がバビロンに連れていかれたのは、まさにその時代でした。彼らはバビロン風に名前を与えられ、無論バビロン風な服装と、文化を与えられ、バビロン風に生きることを要求されます。4人の青年たちに対しネブカドネツァル王は毎日肉と酒を与えるよう命じます。不思議に彼らは周囲の人々から厚遇されるのです。しかし「ダニエルは宮廷の肉類と酒で自分を汚すまいと決心」したのです(ダニエル 1:8)。ネブカドネツァル王という絶対権力者に「NO !」を突きつけたのは彼らだけだったかもしれません。しかし不思議なことに侍従長なる人物がダニエルの申し出を受け入れようとするのです。そしてダニエルたちの世話を命じられた人々も、王の命令に逆らって要求に応えようとします。そこでまず10日間だけ、ダニエルたちに要求されたように、菜食と水だけで様子を見ることにします。すると彼らの顔色は宮廷の食事を受けている人々よりさらによかったのです。

ことによるとダニエルたちにとってネブカドネツァル王さえも残忍な敵というより、彼らを歓迎する好好爺 ―やさしく親切な老人― のひとりとして見えていたのかもしれない。敵か味方かでしか人間関係を見られない人は不幸です。アッシリアの宮廷は、神の恵みが遮断されたところではなく、ここも神の恵みの場とダニエルは考えました。ここも神の計画の場である。そう考えたとき、侍従長も、世話係も故郷のヘブライ人と少しも変わらない親切を表してくれたのです。憎しみと敵対には同じ量の憎しみと敵対が戻ってくるでしょう。愛と親切も同じことが言えます。ダニエル書1章にはダニエルたちの連行とバビロンでの生活の始まりが語られます。そしてダニエル書1章は次の言葉で閉じられます。「ダニエルはキュロス王の元年まで仕えた」(1章21節)。キュロス王とはバビロニヤを倒したペルシャ王のことです。巨大で残忍なバビロニヤも倒れる時は、いと簡単です。ダニエル書にはその冒頭に、滅びの時がほのめかされるのです。神こそ真に偉大な、歴史の主です。

(2015年05月03日 週報より)

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