被災地南相馬を訪ねて

フェイスブックの友だちであるケリーさんに誘われて思いがけず南相馬を訪ねることができました。彼女との出会いはもう10年以上前のことです。教会にお子さんと来られ、カトリック教会を探しておられたので、高幡カトリック教会を紹介させていただきました。その後由木教会で子育てサークルが始まり、彼女は大きなお腹を抱えて参加してくださいました。その時のお腹の赤ちゃんは今、小学4年生だそうです。彼女は日本人の男性と結婚されていて大学生から小学4年生までの5人のお子さんのママです。普段は英会話の先生しながら、すでに27回も被災地を訪ねているそうです。

今週水曜日、朝6時に八王子駅南口に集合し、ケリーさんが運転する車で彼女の生徒さん4人と彼女のボランテア仲間の女性と私と総勢7名で出発しました。東北道の二本松インターで降り、そこから一時間以上かけて南相馬に向かいました。中央道で事故渋滞があったため6時間半もかかってしまいました。途中、飯館村を線量計片手に通過しました。沿道には広い庭の農家や新築らしき家、ガソリンスタンド、スーパー、郵便局などがありましたが戸が硬く閉じられ、窓はカーテンがひかれ、誰一人見当たりません。みんなが避難してゴースト・タウン化し、時が止まったかのようです。

やがて南相馬、原町カトリック教会に到着しました。そこからは地元で新聞記者をされている男性が案内をしてくださいました。共に車に乗って、仮設住宅2箇所を訪問しました。仮設住宅ではこちらからお持ちした物資を配布し(前日にケリーさんに頼んで由木教会からは一万円分の水や麦茶、石鹸などを購入してもらいました。)仮設住宅の方々と暖かい交流ができました。ほとんどの方が家を失い、原発事故のため避難してきた方々です。そこに子どもたちは住んでいないそうです。ある方のお部屋を見せて頂きましたが、広い庭と家を持つ農家の方が4畳半2部屋に家具を置いて住むと言うことがどんなに辛いことであるかと感じました。

2時過ぎ、遅い昼食を福幸(ふっこう)食堂で頂きました。そこは津波で店を失った方々がプレハブで商店街を作っている所です。飲食店、洋品店、とこや、花屋、接骨院など多様な店舗が並んでいます。食堂で働いているおばちゃんが「遠くから来てくれて有難う。私の家も流されたけど頑張るからね」と笑顔で送ってくれました。
それから小高区に向かいました。今年4月半ばから警戒区域を解除されたばかりの所ですが水道もガスも通っておらず、寝泊りは禁止されている所です。
車で海岸に近づくと家の土台だけ残っている見渡す限り広い更地が続き、壊れた堤防に緑色の苔がはえた瓦礫は津波の威力の恐ろしさ表していました。車を陸地に向かってかなり走らせた所でも津波にすべてさらわれた家の残骸が続きました。波が内陸奥深く来たことを物語っています。
やがて小高の商店街に到着して衝撃を受けました。商店街が長く続いているのに誰一人居なく、地震直後の倒壊したままのお店が並んでいるのです。ショウケースの中の食べ物が腐ったまま。ガラスが散乱したまま。原発事故でただちに避難を求められ、時間が止まったまま、時が経過しているのです。帰りたくても帰れない人たちの悲しみ、痛み、怒りを肌で感じました。

ケリーさんが「買い物することで援助しましょう」と風評被害で苦しんでいる黒潮海苔店に寄り、たくさんの海産物を購入しました。(礼拝後販売しますのでご協力下さい)

八王子駅南口に到着したのは夜の11時頃。長い一日でしたがこれからの自分の在り方、教会のあり方に多くの示唆が与えられました。

小枝 黎子 (2012年07月22日 週報より)

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