嘆きから勝利へ
マタイによる福音書 27:32-56
今週は主イエスキリストが十字架に向かって歩まれた最後の一週間を記念する受難週(カトリック教会では聖週間)を迎えます。木曜日は洗足木曜日、十字架につかれた金曜日は聖金曜日 Good Friday と呼ばれます。マタイ27章を読んでいただきましたが、主イエスはまず総督ピラトの官邸に連れて行かれました。総督とは軍人ですから、そこには100人ほどの兵士が厳重な警備を敷いています。総督の兵士らは部隊の全員を主イエスの前に集めたとあります。(27節)
主イエスは着衣をはぎ取られ、赤い外套を着せられたと28節に述べられます。いばらの冠を頭に押し付けられ右手に葦の棒を持たされ、その前に膝まづいて「ユダヤ人の王、万歳」と侮辱し唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げ頭をたたき続けたとマタイは述べています。ヨハネ福音書19:20に主イエスがかけられた十字架にはヘブライ語、ラテン語、ギリシャ語でユダヤ人の王と書かれた罪状書きが掲げられたとあります。まさしくローマ支配の世界で意味合いは違ったにしろ、王と主イエスが名乗られたことに、ローマ側は明らかな政治性を見て、政治犯として扱ったことが読み取れます。
主イエスはこの軽蔑と嘲弄を跳ね返そうと思えば、いくらでも、どこからでもお出来になったはずです。主イエスこそ、世界を支配し、歴史を動かすことの出来る方です。天上の天使の軍団も、地上の王国も御支配なさる王の王。しかしこの時じっと兵士達のあざけりに身をゆだねております。わたしたちにとって、耐え難いことは、罵られることです。たとえ罵られても仕方がないような失敗をしたときでも、罵られれば腹が立ち、侮辱に耐えることはできないのです。しかしここで神の子は、今、故なく罵られています。主イエスは自らその王座から降りて、卑しさを身に負います。それは我々が罪を犯して経験する卑しさや恥、あざけりをすべて身に負わんとするかのような姿勢です。兵士に向かって一言葉も発せず、怒られることなく、助けも呼ばずに耐え続けるのです。
十字架刑は最も重い罪を犯した<ローマ人ではない人々>が、負わされる刑罰でした。ルカ23章にはピラト自らが「私はこの人に何の罪も認めない」と言っています。総督はイエスの無罪をはっきりと宣言しています。イエスは公式に無罪であると宣告されていたのです。しかしピラトはこの主イエスを死刑にしました。周囲のローマ人は誰でも、主イエスが無罪であると知っていました。ピラトは妻からも「あの義人にはかかわらないで」と頼まれていました。この上なく強大な権力と武力を持ち、きわめて残酷なユダヤ人支配を徹底したピラトが、ユダヤ人に脅迫されました。「自ら王と称する男を見逃したなら、ローマ皇帝カイザルへの謀反である。われわれはカイザルに訴えるぞ!!」
ピラトは、弱々しくユダヤ人の脅迫に屈するのです。ピラトは使徒信条にイエスを苦しめた代表人物のように、名前を記されます。
しかし同時に、罪のない神の子が十字架にかかること・極刑につくことは矛盾したことではなかったのです。主イエスは生まれたときから「自分の民をもろもろの罪から救う方」であることが定まっていました。主イエスが十字架につくことによって、(十字架につかねばならなかった)バラバという犯罪人が解放されます。バラバは我々すべての象徴です。
わたしたちは時に言葉にすべきでないことを口にして人を傷つけ、すべきでないことをして後悔に暮れます。ですからつらい出来事に遭遇したときに、「これは神から罰されているのではないか」とか、「これは以前犯した罪の結果を今受けているのだ」と思ったりするのです。しかし、主はあの十字架の上ですでに私の罰を引き受けられたのです。つまり私たちには罰を科さないのだと十字架は宣言するのです。
なにかあって、神から遠のけられたような、見捨てられてしまったような、神が遠ざかったような気分に陥ります。でも主はすべての贖いと許しをすでに私たちに確定してくださっているのです。
主が十字架にかかられたときに多くの見物人がいました。そして死刑囚は人々への見せしめのために、自分がつけられる十字架を、死刑が執行されるゴルゴタの刑場まで運んでいかねばなりませんでした。ところがその途中で思いがけない出来事が起こりました。主イエスは昨晩から行われた裁判とむち打ちのために疲労困憊・疲れ切っておられました。主イエスは重い十字架を運ぶことができなくなってしまった。
遠藤周作の「イエスの生涯」によると、それは70キロほどの重さだったと書かれています。
その時、たまたま刑場への道行きに北アフリカから祭り見物にきているキレネ人(キレネとはエジプトに近い今でいうリビヤ地域の人のようです。このキレネ人はシモンという名前ですから ユダヤ教を信じる敬信者と呼ばれる外国人のユダヤ教徒で、過ぎ越しの祭りにきていた人と考えられます)。兵士達はイエスの血にまみれた重い十字架を担ぎたくないので、これ幸いとばかりにシモンに主イエスの十字架を負わせようとしたのです。
シモンは逃げ出したかったでしょう。主イエスの汗と血にまみれている十字架を衆人注視の中で負うのです。喜んで引き受けたくはなかった。マタイ福音書はマルコ福音書を土台に書かれました。そこでマルコ福音書15:21に平行記事があります。するとこのシモンという人は<アレクサンドロとルフォスの父>とわざわざ紹介されています。アレクサンドロとルフォスは当時のキリスト教会で名前が知られた人と推測されています。後に使徒パウロは、ローマ16:13に「主に結ばれている選ばれた者ルフォス、およびその母によろしく」と書いて言います。パウロは筆を続けて『彼女は私にとっても母なのです』と書いています。この人はここに言われているキレネのシモンの妻にあたるわけです。
ここに私たちは、神のなさる業(わざ)の不思議さに圧倒されるような思いがします。
シモンは全く偶然に、十字架の道行きに立っていました。そして進んでではなくローマの兵隊に無理矢理、主イエスに代わって十字架を担がされたのです。文字通り主の十字架をそのまま担がされた。どこまでか。数分か数十分か知りません。でも主イエスは苦しみの中からシモンに声をかけた。シモンが見た主イエスは疲れ果て血だらけで、しかもどこまで衣服をつけていたかわかりません。実はこのシモンと呼ばれているキレネ人。目の前の人は救い主の外見はゼロに等しい。しかしシモンはゴルゴタの道行の中で鮮やかに主を信じたのです。十字架をローマ兵から押し付けられたときは自分の不運を呪ったでしょう。よもやこんなことに巻き込まれて血だらけの死刑囚の十字架を担がされるとは思いもよらぬ出来事だった。
けれどそこで主イエスと交わした会話の中に、まさにこれこそ救い主と信じざるを得ない決して忘れられない経験をさせられたのです。彼はそのわずかな道行きの歩みの中で、死刑囚と思っていた人を、救い主として信じたのです。自分が信じたばかりではない。やがて妻を信仰に導いた。キリスト教信仰を生きることは心だけのことではありません。この時代、キリスト教信仰を生きることは困難も生じた。シモン家はキレネ(エジプトに隣接しているリビヤ)の人ですが、一家はまわりまわって、パウロと出会い、ローマ教会の主要なメンバーになっていた。マルコ15:21「そこへアレクサンドロとルフォスの父でシモンというキレネ人が通りかかった…。」
ローマ書の16:13「主に結ばれている選ばれた者ルフォス及びその母によろしく。彼女は私にとっても母なのです。」とパウロは書いています。シモンの妻は、パウロにとって母のような存在。そして二人の息子もキリスト者として活躍しました。
すべてはまことに偶然に見えた、シモンが十字架を担わせられることから始まりました。
信仰生活とは、神がともにいてくださる生活です。
神がともにいてくださるなら、そうでない生活とは、何らか大きな違いを見せられるでしょう。シモンが十字架を担わせられたことから起こった、一家の変化は、形を変え私たちの歩みにもあらわされるのです。
(2021年03月28日 礼拝メッセージ)