希望を捨てず
使徒言行録 24:10-23
主イエスが十字架にかかられて、その後数十年でキリスト教は迫害を受ける中で、福音は広大なローマ帝国全体に伝えられていきました。その初めにおいて、キリスト教は、エルサレム神殿礼拝やユダヤの律法を重んじ、ローマ人の目からは、ローマ帝国ですでに公認されていたユダヤ教と見分けが付きにくいことを意図的にはかったところがあります。けれど教会はユダヤ教の1分派として振舞い続けるのには無理があるわけで、一線を切らなければならない時点があったのです。特にユダヤ民族がローマに反乱を企てた70年以降、教会は教会としてのアイデンティティを確立してゆかねばなりませんでした。そのために神に召しだされたのは、キリスト教の最大の迫害者であったはずのパウロです。パウロは元来ユダヤ教原理主義者であり、教会にとって最大の迫害者でした。しかし同時に彼はローマの市民権を持ち、当時最も尊敬されたユダヤ教神学者ガマリエルの第一の弟子とも言われた人でした。パウロ自身にはキリスト者になろうという個人的意向はまったくありませんでした。しかしかつてサウルと呼ばれていたパウロがキリスト者狩りをし、多くの罪もないキリスト者を迫害する行為そのものに、パウロは疲れ果てていたのではないか。そうした権力による迫害を受け続けてさえ、けっして動くことのない信念を持って受け入れるキリスト者の生きかたに心動かされていたのではないだろうか。彼の回心は迫害のど真ん中に起こった。シリヤのダマスクスに当地のキリスト者迫害に行くそのダマスクスの門前、「殺害と迫害の息はずませていた」その馬上で彼は復活のキリストに出会ったと告白するのです。
それだけに宣教者となったパウロに対するユダヤ教側からの憎悪と反発は根深いものがあった。今日のところでは、パウロは3回の伝道旅行を終え、あちこちの教会でパウロの死は近いと語られてきたのです。パウロはそうした言葉を振り切るようにエルサレムにもどり、また神殿祭儀にも加わったのです。そしてこれをアジアから後をつけてきたユダヤ人に目撃されて大騒ぎになったのでした。
暗殺団の結成 23:12節以下には40人以上のユダヤ人がパウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを立てていたと述べられています。たった一人であったとしても、強い意思と計画力を持った人間が、誰かを亡き者にしようとターゲットを決めたら、標的にされた人は生き残ることが出来ないでしょう。ましてはそれが権力者に近い存在であり、暗殺までは飲み食いをしないと腹を決めた40人だったら、パウロの命は風前の灯と思えるのです。
そこでパウロはみずからがローマ市民であるコトを明言します。22:22-30 パウロはここからローマの権力下におかれることになるのです。
本日の24:10節以下はパウロの弁明とでも言うところです。このパウロの弁明の中心は15節、16節だと思います。つまり
- パウロは、正しいものも、正しくないものも、やがて復活する。
- 私は神に対しても、人に対しても、責められることのない良心を保つように努めてきた。
この24章でパウロを尋問するローマ総督のフェリクスについて24:22では<この道についてかなり詳しく知っていた>とかかれています。しかも24節ではユダヤ人である妻のドルシラと一緒に来て、パウロを呼び出し、キリストイエスへの信仰について話をきいた。・・・・
このドルシラなる女性は、ヘロデアグリッパ1世の娘で、エピファネスというギリシャの王と婚約していましたが、相手が割礼を拒んだので、シリヤの王に嫁いだのです。しかし、ドルシラは大変美しい女性でフェリクスが総督に赴任すると彼女に一目ぼれをしてしまい、自分の妻にしたのです。ただ外見だけにひかれて結婚をした男。ドルシラにとって心満ち足りる日々ではなかった。彼女には彼女なりの心乾く現実の中で、福音に心を傾けたいという思いが生まれていたとも思えます。
また自分の父ヘロデアグリッパ1世という人は使徒ヤコブを刀で切り殺させた本人です。またペトロもこの人によって投獄の苦しみを味わいました。しかしこの王の死は人々の喝采の中で、みじめな死を遂げたようにかかれています(12:20-24)。つまり2人とも普通の人以上に権力をもったがゆえの暗い過去があることを知って 24:25 <正義や節制や来るべき裁き>について語ったのです。
パウロの主張には一貫性があります。私は15節で、パウロが<正しいものも正しくないものもやがて復活する希望>という表現に目が吸い寄せられたのです。聖書では普通「復活する希望」といえば信仰者がその信仰を全うして<神の国に入れられる>コトをさすでしょう。悪人が復活するのは、裁かれて滅ぼされるのですから、当人から言えば希望とはいえないはずです。
パウロは心の根源的な、根本的な神の裁きを持ち出します。
パウロは騒ぎを起こした騒擾罪である、というユダヤ教側の訴え、それを引き受けたローマのフェリクスの裁判。裁く側が、じつは神の法廷で裁かれるのです。しかも来たるべき根源的な神の法廷で裁かれるのです。
フェリクスはパウロの話を聞いて「今回はここまで。またの機会に話を聞こう」と打ち切ります。しかし少なくもフェリクスに次の機会はなかった。良心的に歩みだそうとできるのは、今しかありません。ヘブライ3:7-13 ヘブライ書のこの言葉は荒野で40年を歩んだイスラエルの民のことです。神の奇跡を見て、紅海をわたり、40年モーセに率いられても、彼らは今信じる信仰に立つことはなかった。
ヘブライ書の記者は今日という日を、恵みの日として受け取りなさい。。。と語ります。この日を、神から遠のく日でなく、神に一歩近づく日に。心をかたくなにする日でなく、最初の確信をいっそう確かにする日にしよう。そして何よりも今日という日に仲間が、裁きあい、否定しあうのでなく、兄弟として、姉妹として励まし合うそうした共同体として生きてゆこう。
フェリクスは最も遠いところにいた。しかし最も遠いところにいたということは行き詰まるところにまで行き詰まっていたのですから、実は近いところにいたともいえる。
(2020年07月19日 礼拝メッセージ)