中風とその友人たち

マルコ福音書 2章 1-11節

中風の人を屋根からイエスの前に吊り下ろす

どうにもならないわけですけれども、オミクロンの流行りの中で耐え忍んでいくことは大事なことだろう。
さいわい、あまり重症にはならないとも言われておりまして、うちの娘もイタリアでオミクロンにかかりましたけれども、ごくごく軽症で、もう仕事に復帰しております。そうした中で、お互いが祈りで繋がれるとか、友情で繋がれるとか、そういうお互いの絆を強めていくことは、やっぱり大事なことかなと感じさせられております。

今日の聖書のト書きを見ますと「中風(ちゅうぶ)の人を癒やす」と書いてあります。聖書にもいろんな病気があります。例えば癌(がん)。テモテの手紙の中で「がんのように不信仰が広まっていく」という言い方で言及されております。それから、らい病。重い皮膚病と言われていますけれども、これも聖書の中に時折出てくる言葉です。そしてここに中風というのが出てきます。ご存知でしょうか? 私の父は1901年生まれですけれども中風という言葉を結構よく使っていた。亡くなる前を思い起こすと中風という言葉を彼が言っていたことを思い出します。今は中風がどんな病気か知らない人の方が多いと思いますがいかがでしょうか? 要するに脳卒中のことを指します。脳の主に毛細血管が梗塞(詰まり)を起こし血管が破れるかして、それが全身症状として大きな障害をもたらす深刻な病気です。恐れられていた病気ですけれども、これが2000年前にも相当あっただろうと思われます。
この人が何歳だったのか、何という名前だったのかはよく分かりません。年をとっていたかもしれないし全身症状があったかもしれません。ともかく彼は寝たきりだった。動くこともできなかった。突如、左半身あるいは右半身が不自由になってしまった。この人は病気を奇跡的に癒やす預言者のような方の噂を何処かで聞いた。自分でその有名な癒し主であるイエス様に会いに行くことができない。「何処かで不自由になった人が癒やされた」。そんなニュースを聞くと、いてもたってもいられなくなって、ぜひ行きたいと思ったでしょう。行きたいと思っても彼は行くことができないのです。「なんて自分は不幸なんだろう」「なんて自分は悲しいのだろう」という思いをしていたかもしれない。
でもこの人は体が不自由であったけれども別の意味ではとてもラッキーでした。実は世話をしてくれる親切な友人たちがいた。家族は他のことで手一杯で手を出すことができないということもあるだろうし、家族はいなかったかもしれない。親切な友人たちがこの人をイエスのもとに連れてきたのです。

聖書にカファルナームって書いてありますけれども、注解書によればペテロの家であったかもしれない。普通集まりに使われるのはユダヤ教の会堂(シナゴー)だと思いますけれども、イエス様はどういうわけか普通の家に招かれての集会が多くなっていた。何故だろうと思いますけれども、おそらく、よく食事をしたからだと思います。イエス様は食べるの好きだった。友人たちとともに食事に招かれて楽しみを持つのが好きだった。そういうところでお酒を飲む、ワインを飲むこともよくあったんだと思います。もう一つ理由があります。それは、主イエスは徐々に官憲や権力者から危険人物視されるようになっていただろうと思います。ですから会堂のような公的な場所よりは、友情が繋がっていくプライベートな場所の方が集まりやすかったただろうと思います。
それだけにイエス様がいるところには大勢の人が鈴なりに集まることが多かった。この家の場合は「戸口のあたりまで隙間も無いほどに人でいっぱいだった」(2節)とあります。イエス様は非常に人気のある説教者だっただろうと思います。

彼は担架のようなものでベッドごと運ばなければならないのです。友人たちはどうしても中風の人を主イエスの前に連れて行き、会話をさせたかった。主イエスの言葉を聞かせたかった。でも、どうすることもできないほど人々が押し寄せていた。そこでこの4人は病人を担架の上に乗せたまま屋根に持ち上げて、主イエスがこの下で話をしているだろうという場所を推定して、屋根に穴を空けて—というよりも屋根を壊して—ベッドごと上から吊り降ろしたということなのです。
一応この時代の家は簡単に穴を空けることができたかもしれませんし、そうじゃなければこんなことが可能なわけでもないと思います。そも、あまり雨の多い地域じゃありませんから、簡単に屋根を壊すことができた。でもやったことは家の屋根に穴を空けるという常識をはみ出したもの。屋根をブチ壊すものですからこれは大変なことであります。

でも想像してください。目の前で繰り広げられた非常識を避難した人はほとんど誰もいないのですよ。これも不思議なことです。イエス様が作り上げる非常に自由な空間というのが、そこにあったのでしょうか。起こったことを見た人々で「そんな非常識なことをやっていいのか」と文句をいう人が一人二人出てもいいはず。けれども、そうした人のことは書いていない。
何よりも、イエス様が屋根まで運び上げた人々の信仰を見て彼らを褒めたと書いてあります。中風の人の気の毒な状況を見てみんなが深く同情した。必死になって中風の当人を運んで屋根まで空けた人々の信仰を見たというのです。病人を連れてきた人々は、ともかく全身の不自由な人を見るに見かねて何とかしたいという気持ちで一つだった。「このイエスと言う方にお願いすれば何とかなる、なんとかなるはずだ。イエス様どうぞお願いします。」
そうして中風の人をイエスの目の前に運んだのであります。人がイエスに救われるためには信仰が必要です。それは私たちもその通りだと思います。自分が救われるためには信仰がなければならないと、そう私たちは信じてます。信仰というものは個人的ですから信じない人には信仰の技は起こらない。
中風の人は見る限りにおいてイエス様に信仰告白をしたわけではありません。でもその仲間はイエスを信じた。どう信じたのかよく分かりませんけれども、イエス様なら何とかなるということでしょうか。

そればかりじゃないんです。主イエスは中風の人に「子よあなたの罪は赦される」と言ってくださった。これは一つのカギになる言葉じゃないでしょうか。イエス様は表面上見えていないこの人の行動を見ていたのかもしれない。普通の人が聞けないようなこの人の言葉を聞いていたのかもしれません。

この4人の友人たちは諦めなかった。本人が行けなければ自分たちで彼をイエスのもとに運んであげればいいと思った。どうしてもイエスに合わせたかった。あの方のところに連れて行こう。屋根を蹴り飛ばしてでも突破したい。そう思った。つまり、我々は他者のために信じることが許されているということだろうと思います。自分の事を忘れても他者のために祈り、神のところにその人を持ち運ぶという信仰をイエス様は喜んでくださったということなんだろうと思います。

病人の寝床を屋根に乗せて吊り下ろしはしましたけれども、それまで主イエスは一言もこの病人と会話をしていません。病人が降りてきて、話ができる距離にきたときに「あなたの罪は赦される」と言明した。この人に向かって「起きて床を担いで歩け」と命じたのです。
「『中部の人にあなたの罪や許されるというのと、起きて床を担いで歩けというのと、どちらが優しいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っているということを知らせよ。』
そして中風の人に言われた。『私はあなたに言う。起き上がり床を担いで家に帰りなさい。』
その人は起き上がり、すぐに床を担いでみんなの見ている前を出て行った。人々はみな驚き、このようなことは今まで見たことがないと言って神を賛美した。」(9-12節)
主イエスは律法学者に向かって「中風の人にあなたの罪は許されるというのと、起きて床を担いで歩けというのと、どちらが優しいか。」と尋ねられました。この主イエスの言葉は律法学者の心にある考えを読み取ったものだと思います。彼らも病人の訪問を受けることがあったかもしれない。祈りをする機会を持ったかもしれない。無論、祈りが聞かれて病が癒されるということも起こるかもしれない。でもそのために律法学者なりの名声やら、何某かの礼金を手にする輩もいたかもしれない。でも主イエスなら昨日まで物乞いをしていたような人から金品を受け取ることはしないだろう。これはやはり罪が赦されるという圧倒的な問題の解決の故に、この人が在ることができるようになっていた、ということなんだろうと思います。

別の答えがあるのかもしれませんけれども、いずれにしろマルコ福音書は冒頭から、心病んでいた人について病む、神の視線が語られます。1章から5章まで、人の癒しが行われない章は1章も無いのです。不思議な感じがします。
特徴的な一つの癒しの記事があります。5章の21節以下です。12年間出血が止まらない女性はイエスに気づかれないように後ろからそっとイエスの衣に触った。そしたらその病気が治ったという記事があります。そこまでは単純な癒しの一つの記事なのです。

ところが、この女性はそっと主イエスの後ろからイエスの衣に触れたのですけれども、その時イエスは大群衆と共に歩んでいたので誰が触ったのか分からなかった。それはわからないでしょ。わからないように触ったんですから。でも誰かが自分に触れたということはよーくわかった。なぜならば、イエスの力が誰かに注がれたということが感じとれたからです。ちょっとそこのところを見ていただきましょう。

5章24節から。
「大勢の群衆もイエスに従い押し迫ってきた。さてここに12年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかってひどく苦しめられ全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて群衆の中に紛れ込み後ろからイエスの服に触れた。この方の服にでも触れれば癒していただけると思ったからである。するとすぐ出血が全く止まって病気が癒されたことを体に感じた。イエスは自分の内から力が出ていったことに気づいて群衆の中で振り返り私の服に触れたのは誰かと言われた。そこで弟子たちは言った。『群衆があなたに押し迫っているのがおわかりでしょう。それなのに誰が私に触れたのかとおっしゃるのですか。』
しかしイエスは触れた者を見つけようと辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり震えながら進み出てひれ伏しすべてありのまま話した。イエスは言われた。『娘よあなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず元気に暮らしなさい。』」

この女性がイエスに触れた。そうすると身の内から神の力が出ていったことに気づいた。これは面白いと思います。そして群衆の中に振り返って「私の服に触れたのは誰か」と言われた。イエス様は癒やすなら誰でもいいだろうし、そんな誰か特定するような意味合いというのはあるんだろうか。

イエス様が御業を下した。イエス様の技を受けるという我々の側においては、神様との出会いがあったということを間近に感じることでしょう。イエス様だって分かっている。どんな相手なのか、どんな人なのか、どんな人生を歩んできたのか。そうした手応えを感じていらっしゃる。
どんな技でもキリストの手応えを通って私たちのところに力が注がれてくる。とすれば、それは小さな出来事ではないですね。神様の出来事、神様の体が動いているということです。信仰生活というものは、そういうことが起こる場所だと言えるんじゃないでしょうか。大きなこともあれば些細なこともある。イエス様の手が触れて、そうした出来事が起こっているということを忘れてはならないんだろうと思います。そのことを思うと私達は嬉しくなりますね。

祈り

神様。私達の人生の歩みの中で、あなたは私達のことを覚え、私達の名を呼び、私達にあなたの力を注いでくださいます。私たちは自分自身の信仰生活は自分自身のものだけのように感じていますけれども、それは主イエスあっての出来事であることを改めて覚えることです。イエス様は身を削って、そうしてあなたの力を与えてくださっていることを、どうぞ私達は覚え続けることができますように助けてください。困難なときも困難でないときも、喜びの時も辛いな時にも、あなたと共に歩み続ける者でありますように。一切をあなたの手に委ねイエス・キリストのお名前によってお祈り致します。アーメン。

(2022年 1月 23日 礼拝メッセージ)

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