Blog

喜びと賛美と

人間は成長するにつれて、様々な表情をつくることができます。ポーカーフェースというのがあります。トランプでポーカーをする時、手の内が読まれないように、良いカードが来ても苦虫をつぶしたような表情をし、悪いカードが来ても涼しい表情でやりすごすのです。私はカードゲ...

壁を乗り越えよう

人と人を分断する壁は、相変わらず世界中に張り巡らされています。 ベルリンの壁のように目に見える壁があります。ヨルダン川西岸区域のパレスチナの自治区には、イスラエル政府が世界中の非難を浴びながら、ベルリンの壁よりも高く巨大な壁を構築しているところです。国と国...

ある春の出来事

最近はテレビのニュースを見ることが苦痛になってきます。会社乗っ取りのマネーゲームとか、一国の指導者による日本市民拉致を、解放する手段もなく、年月だけがただ過ぎ去ってゆくいらだち。私や家族がそうした問題の犠牲者だったら、わたしはとても正常心を保つことなどでき...

キリストの復活

宗教離れがいっそう進みつつある時代です。むりからぬことがあまりにも多く起こったからです。オウム真理教をはじめとするカルト宗教があちこちで問題を起こしたり、アメリカにおける原理主義キリスト教が、キリスト教の中心的課題から外れた進化論や、中絶、またイラク戦争支...

信仰に生きる

キリスト者であること、キリスト者として生きることは、だれにも強制されないし、自由で、喜びを心から確信できる道があります。ただ、そうした自由と喜びには代償があります。つまり「いかなる状況が発生しても基本的な生き方をひるがえしてはならない」ということが求められ...

日本人とキリスト教

10年ほど前に読んだ三浦綾子著の海嶺を読み返していました。題名の海嶺とは海の中の山(海溝の頂)の意味だそうである。キリスト教を小説に展開している著者は、天保時代に漂流し、海外にたどり着いた日本人の物語をフィクションを交え書き綴っている。読み進んでいるうちに...

受難節に思う

現代に生きるわたしたちは、時折、社会の現象や自分自身も含めて、人間性に横たわる<深い闇>の存在を漠然と感じる時があります。いま、教会暦の上ではレント(受難節)の時を過ごしています。ついでに言えば、昨日はレント22日目にあたります。由木教会の玄関に、レオナル...

おとしもの

1月に2週間ほど、娘がイタリアから休暇をもらって帰国しました。外国にいると妙にナショナリストになるようです。かつてベ平連をつくったOさんだと記憶していますが、留学中に岸信介さんが「タイム誌」の表紙に登場したのを見て、本屋の店頭で目頭が熱くなったと書いていて...

信仰のひと

「なぜ?」と問われると困るのですが、私は小学校のころから教会に関心があり、一度訪ねてみたかった。でも、初めて教会に行ったのはちょうど20歳の時です。それは私のイメージのなかにある教会とは似ても、似つかない、狭くて、ほこりまみれのバラックの二階。そろばん塾を...

牛の上半身

最近、小学校2年生の娘とディズニーのDVDアニメに付録として付いていたシルエット・クイズなるゲームのようなものをやった。小魚が徐々に集まってシルエットを形づくるのを見て、いち早くその名前を当てるという他愛のないものである。正解だと、再び小魚が親指を立てたサ...