カテゴリー: 週報の裏面

見方を変えて世界を見ると

一冊の旅行記をまた読み返しています。「アウシュヴィッツで考えたこと」宮田光雄著、1987年、みすず書房刊がそれです。著者は1983年に当時の東ドイツの教会からの招きを受けて、東ベルリン、ライプチッヒその他当時の東欧圏の国々を訪ね、それを一冊の本にまとめあげ...

世界はひとつ

主イエスは福音の宣教をその生涯の使命となさいました。そしてその福音はたしかにまずユダヤ人に向けられましたが、決してユダヤ人だけに限られたのではありませんでした。イエスの福音は最初から人種と国境を越えたものでした。国家として政治的な実権を奪われていた当時のユ...

重荷を負いつつ

重荷について新約聖書にはさまざまに語ります。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11:28)「めいめいが、自分の重荷を担うべきです。」(ガラテヤ6:5)「私たちは重荷を負ってうめいています。」(2コリント...

現実の後ろに

聖書をまず手にした人々は、創世記の冒頭を読み始めます。そこには神が世界を創造し、その世界をこそ、神が現実を見てよしとされたと述べられます。創世記の記者はそう書くのです。じつはこの創世記が記述されたのは 紀元前6世紀のことであることが明確になっています。つま...

聖霊を仰いで!

幼い子供を見つめて、なんともそのかわいらしいしぐさや言葉に微笑むことはだれにもあることでしょう。けれど最近伝えられる子供の虐待報道には人間としての感覚を疑わせるほどのようなものがあります。先週25日、柏市の28歳の母親が2歳10ヶ月の男の子を餓死させたとし...

聖霊がくだって

五旬節の日、地上のイエスの弟子たちに聖霊が降りました。かれらは予想もしていなかった不思議な力に満たされて、あれほど弱さと恐れの中にあったことが嘘のように、人々の前に出て行き、堰を切ったように堂々と語り始めたのです。彼らはまず自らの弱さを深く悔いると共に、神...

2012年の日本に暮らす者に今、求められていること

この1年間つづいてきた日本の絶望的な状態をありのままに見ると、原子力は人倫の道に反するものだとおもう。ひとはいかにして生きるかが根本から問い直されているというのに、財界・電力業界・官僚はいうまでもなく、原子力の学者・専門家には、そういうことへの配慮らしきも...

鋤に手をかけてから

また別の人も言った「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」 イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる人は、神の国にふさわしくない」と言われた。 ルカ9:61,62 主イエスの弟子として、決断して、歩み始めようと...

いまこそ信仰のとき

主よ、あなたの道をお教えください。私はあなたのまことの中を歩みます。一筋(ひとすじ)の心を私にお与えください。 詩篇86:11(ダビデの詩) 冒頭の言葉はいつかの礼拝の詩篇交読で読まれたものです。以来私の心を去来する言葉です。人は生き続ける中で様々な状況に...

喜びを見失わずに

主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ感謝をこめて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そう...