2012年の日本に暮らす者に今、求められていること
この1年間つづいてきた日本の絶望的な状態をありのままに見ると、原子力は人倫の道に反するものだとおもう。ひとはいかにして生きるかが根本から問い直されているというのに、財界・電力業界・官僚はいうまでもなく、原子力の学者・専門家には、そういうことへの配慮らしきものがまったくうかがわれない。倫理観に欠けている。原子力という科学、技術の世界と倫理とは別ではないかといわれるかも知れないが、そうではない。深く関係している。ここで「倫理」とは、誤解をおそれずに言えば、順境にない他者の気持ちを推しはかることができ、それにもとづいて自らの言動を律する基準を言う。
山口幸夫2012「原子力は文明に逆行する -「いのち」こそ-」『原子力資料情報室通信』第453号、引用者強調
地域への経済波及効果とか産業競争力の低下など様々な事柄が言われている。それぞれの話しを聞くと、それぞれにもっともらしいように聞こえる。そしてどちらの言い分もそれなりの根拠なり、理由なりも分かって、結局は自分の意見をはっきりさせることができずに、曖昧なまま、大勢に流されていく。なんでもかでもはっきりさせればいいとは思わないが、はっきりさせなければならないことはやはりはっきりさせなければならない。曖昧なままズルズルといったことが、日本という場では、多すぎるような気がする。仮に頭で分かっているつもりでも、いざという時になると、そのように行動できない。それは、「分かっているつもり」だけで、本当には分かっていないからなのだろう。
イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しないさい。そうすれば命が得られる。」 しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。
ルカ10:28-29
律法・掟・ルール・建前は、すらすら言える。しかし、いざという時になると、その場に直面するとやりたくない、できるなら避けて通りたいという本音が顔を出してしまう。人生という道を歩いていて、たまたま目にした都合の悪い状況は見なかったことにして、思わず素通りしてしまう。本人は、無意識なのかも知れない。しかし無意識であれば、なおのこと性質が悪い。
これまで、無数といっていい議論がなされてきた。倫理の問題に立ち返って考えるというのがわたしの立場である。とくに、原子力発電の場合、被曝労働者の存在と核廃棄物の処分問題とが隠されたまま、エネルギーの安定供給、安価で絶対安全と喧伝され続けた。
山口幸夫2012「原子力は文明に逆行する -「いのち」こそ-」『原子力資料情報室通信』第453号
事態収拾のために最も危険な場所で働いた被曝労働者の何割かの人々とは、未だに連絡を取ることすらできないという。要は、「使い捨て」だったということである。そして核廃棄物の処分問題は、反対の声すらあげることのできない未来世代への負債の先送りである。
原発ゼロで計画停電と原発稼働で通常生活、私たちはいったいどちらを選ぶべきなのだろうか? 最も弱い立場に立って考える。こうした心の基準点(隣人基準)さえしっかりと持っていれば迷う余地はない。答えは、おのずから明らかである。
そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」
ルカ10:37
五十嵐 彰 (2012年05月13日 週報より)