2006年のクリスマスに起こったこと
コロナ渦で思いもしなかった自由時間が与えられたのですが、何か胸の奥底に鬱屈した気持ちが沈殿して、考えていたことにも集中できません。こうした時にこそ、み言葉から力を得たいのですが。
最近送られてきた冊子から、心に残った文章を紹介します。
今日は、少し詳しくお話しいたします。わたしは、25日の朝8時30分までに拘置所に行くように言われました。礼拝所には、百合の花が飾られていました。聖餐式の準備をして、ヒムプレイヤー(讃美歌自動演奏機)で讃美歌を歌えるように整えました。藤波さんは、笑顔で9時20分に車椅子で入ってきました。「先生、わたしは大丈夫ですから…」と言い、むしろわたしのことを気遣ってくれました。
「わたしは、イエスのもとに還るのですから」と。わたしは、詩篇23篇を読みました。
「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れません。あなた(神)が、わたしと共におられるからです。」
そして最後に、聖餐式が行われました。その中で、ローマ人への手紙6章を読みました。
「もしわたしたちが彼(キリスト)に結びついて、その死の様にひとしくなるなら、さらに彼の復活の様にもひとしくなるであろう…」(口語訳) そして共に祈りを捧げました。この間15分でした。そして彼と一緒にゆっくりと刑場へと向かいました。そこにも、百合の花が飾られていました。わたしは、もう一度聖書を開き詩篇121篇を読みました。
「わたしは、山に向かって目を上げる。わが助けは、何処から来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。」 そして、わたしは彼を抱きしめました。酷いことに、手錠をかけるのです。そして目隠しをしました。藤波さんは、祈りました。「わたしは、取り返しのつかないことをしてしまいました。被害者にお詫びします。キリストに出会えて、本当によかったと思います」と。
わたしの方を見て「イエスさまにお会いしたら、先生がいつまでも牧師の務めを果たせるようにお伝えします」とわたしに向かって話しかけた後、車椅子からおろされ、看守に両脇を支えられて処刑されました…
その後、棺の前で祈祷を捧げました。「わたしは甦りであり、命である。わたしを信じるものは、たとい死んでも生きる…」その後、わたしは検察官5人、矯正局長、拘置所長に対して、抗議しました。
「12月25日に処刑するとは、あなたがたはキリスト教を馬鹿にしているとしか思えない。」
看守たちには「国家がこのような処刑をする、これは国家の罪である。法がある限り、誰かが負わねばならないことである。それを、あなたがたが負われたのです。あなたがたに、たたりはありません。」
なおも言葉を続けた。「75歳になった老人を、なぜこのような仕方で殺さなければならないのですか。病で自然に死んでいいのではないですか。法務省の者たちは、人間を見ていないのです。」
向井 武子2020「藤波芳夫さんの処刑」『死刑廃止国際条約の批准を求めるFORUM90』 第171号:1-2.
向井さんはある死刑囚の養母となり、それ以来死刑囚の方々と交流を続けてきた牧師です。
人が人を愛することができるのか。そういう疑問を抱いて若い時に旅立った旅ではありますが、今気づくことは、私も死刑囚も、すべての人が同質の悲惨の中を生きている同じ人間であるということです。こういう人間が他の誰かを、どんな事情があれ死刑宣告して処刑できるでしょうか。私たちのいのちは神様から預かったものです。勝手にそれをあしらってはいけません。処刑という究極の刑罰は、その人から生きる意味も、神から与えられたものも全部はぎとってしまうことです。「私たちは神の許しと愛によって生かされているものである」、これが旅の中で今私が得ている答えです。そして神様からの赦しと愛は、死刑囚にこそ注がれていると確信します。
向井 武子2009『死刑囚の母となって』新教出版社:139.
五十嵐 彰 (2020年5月17日 週報より)