揺れ動く中で
先週、心揺れ動く思いを味わいました。15日(月)家族7人とともに近くのファミレスで昼食を共にし、食事が終わって支払をしたのです。ところがそれが長年付き合ってきた財布との最後のお別れでした。そこからに自宅まではほんの数百メートル。私の財布は忽然と消えてしまった。二つ折りの財布は厚みもありますし、落とした実感は全くないのです。財布には運転免許証、健康保険証、パスモ、そして何がしかの現金、電気店のポイントカード、名刺、ガソリン給油のためのカードが入っています。よもや!と気づいたのは翌朝9時ごろです。うかつと言えば、確かにうかつですが、無くなっている事さえ思いもしないことでした。当然あるもので、無くなっているはずはないと思っていました。それでも火曜日の朝は、家のどこかから出てくるかもしれないと、いちるの希望をかけていたのです。落としたという実感は、全くなかったからです。今でも落としたとは思っていないのです。
ところが火曜日の朝は、ある会議があり、家中を捜索していた私に会議開始時間になって、今すぐそこに来てほしいと無情の電話がかかってきたのです。この<非常時>にという言い訳は利きませんでした。長い会議から帰ってきたのは夕方の4時。財布なし、運転免許証なし、健康保険証なし。それはつまり自分を証明するものが何一つないと言う事です。それは極端な言い方をすれば、自分が自分でなくなるような気持ちだったのです。
その夜、蒲郡教会で洗礼を受けた田村響さんのリサイタルが初台のオペラシティで行われました。昨年、世界的に有名なロン・ティボー国際コンクールのピアノ部門で優勝した21歳。会場のは空席はなく、始まる前から期待感が沸き立つような雰囲気。聴衆はそれぞれに田村響さんのことを知っているようで、演奏前あちこちの席から彼について話している会話が聞こえてきます。演奏はバッハのイタリア協奏曲、ベートーベンのピアノソナタ<テンペスト>、そしてリストのいくつかの曲とコンクールの課題曲だった現代曲オー・バッハなる曲。
演奏は、個性と若さにあふれた目にも止まらぬ指使いの超絶技巧を次から次にくりだす見事なものでした。会場はそのピアノから発する音楽に圧倒されるようでした。聴く人々が音楽にのせられ、ゆすぶられ、巻き込まれるようでした。ピアノの音がこれほどダイナミックで、強烈な印象を与えるのかと、私は驚かされたのです。
じつは昨年蒲郡教会に説教のために伺っていたとき、田村響さんがお母様とともに集会に来ていました。合い間には他の青年と共に、テレビゲームをしながら<ヤッベー>などと吼えていたのです。でも彼は私にこういいました。
「僕は演奏前にはお祈りをします。演奏用の礼服のポケットには小林春江先生からいただいた聖書を入れてピアノを弾くのです。」
今回の演奏会でも、彼はピアノに手をかける前に、瞑目するように、かなり長く祈ります。演奏を待つ会衆には、それが負担に感じられるほど長く思え、思わず会場がざわつく場面がありました。彼は祈り、おもむろに鍵盤に手がかかり、超絶技巧が繰り広げられるのです。
鮮烈な演奏に、私はしばらく我を忘れていました。なくし物で心を煩わせるのをやめました。けりをつけたのです。水曜日に警察に届けを出し、由木支所で健康保険証を再交付していただき、木曜日に府中の試験場で運転免許証の再交付をしてもらいました。近くのコンビニにも、食事をしたファミレスにも財布は届いておらず、八王子、多摩の警察からもいまだに連絡がありません。しかし、ものは受け止め方。実質的な被害は多少の現金だけでした。
これら以外にも心に動揺が走ること、ため息をつくことがないわけではありません。それでも平安な気持ちが途切れることはなかったのです。神を見上げることが出来、礼拝を絶やさず神の前に生き続けられることは、神の大きな祝福なのだと心から受け止めることの出来た一週間でした。そして田村さんの次なるコンサートの予約もしてしまいました。
(2008年09月21日 週報より)