アジアの二つの視線

6月の終りに、私たちはソウル神学大学から学生16名とパク・ミョンス教授をお迎えし忘れがたい良きお交わりをしました。限られた予算を節約するために、到着してすぐの昼食は、韓国のカップラーメン<辛>のみでした。なんだか気の毒に思えて<連れ合い>が有り合わせのサラダやクッキーやリフレッシュメントを差し上げたら拍手して喜んでくれました。そのぶん、夜は近くにある回転寿司でおおはしゃぎの食事でした。素晴らしい青年たちの行動に、胸が熱くなる思いでした。好感のもてる彼らの行動の一つ一つがなつかしく思い起こされます。その後1ヶ月少々。戦後60年ということもあり、新聞記事の中で、特に目を引く出来事が2件掲載されました。

その(1)は茨城県神栖市の旧日本軍の毒ガス弾がコンクリート詰めされ、投棄され、住民健康被害が問題になっているという事件でした。毒ガス弾がコンクリートにつめられ神栖に再投棄されたのはさほど古くないことだと伝えられました。環境省のHPでは既に明かになった毒ガス投棄は日本全国にわたり、737カ所にも及ぶとあります。公式発表ですから、神栖のようにバレそうになったから新たにコンクリート詰めにして再び隠すということがあります。こうしたものが日本以上に、中国や韓国、朝鮮で深刻な問題になっています。あなたの家の土台の下に毒ガス弾が埋められて、子や孫が健康被害をこうむっているかも知れないと知ったら、言葉を失います。かつての日本軍は日中戦争でこうした毒ガス弾や、コレラ菌、チフス菌を仕込んだ細菌弾を中国人の上に雨、あられと投下したのでした。
新聞記事の(2)は、こうしたものを研究、製造した陸軍731部隊の免責が、戦後いちはやく米軍との話し合いで決められたという資料が発見されたという報道です。731部隊の研究者たちはその資料をもとに戦後医学者として日本の有数な大学での地位を与えられ、日本の医学会を指導していったと伝えられます。戦争が終わって、多くの下級の兵が濡れ衣も含めて、B,C級戦犯として処刑されいった一方で、本物の戦犯たちが生きのこって、戦後日本の医学や政治、経済を導いていったこの理不尽さにあらためて深い怒りを覚えました。

韓国人の学生たちを送りだして、私たち夫婦は西日本教区の牧師たちと韓国の大田(テジョン)市の教会を訪ね、ここでも言葉で言い尽くせない歓迎を受けました。最近その大田(テジョン)市で日本の代表サッカーチームが北朝鮮と対戦して負けたのです。その時、試合に先立って、<君が代>が奏され、<日の丸>が掲げられる時に、多くの韓国人の方々が、ブーイングと、中指を突き立てて、抗議を表明したのだそうです。日本中にひそかに埋蔵秘匿された毒ガス弾が、表面の腐食によってぶすぶすと洩れ出すように、日本の過去は封印されたものと、思い込むことは許されないでしょう。韓国の人々が折あるごとに、ブーイングと中指を突き立てることは見られるでしょう。われわれはもう一度過去を見つめることを求められています。心から韓国や中国の人々に謝罪すべきです。教会も含め、かつての村山首相以来様々な謝罪の言葉はあるものの、心からの謝罪はじつは多くはありません。多くは立場上の作文、仕方なしの謝罪です。

21世紀は、20世紀の傷をいやす時です。被害をこうむってなお深く傷ついているアジアの隣人たちに手を差し伸べることは出来ないのかと思います。日本におられる韓国の人々との交流にもいっそう力を入れるべきでしょう。聖書の民は過去へのきびしい反省と悔い改めから、自らの立場を定めました。ノアも、アブラハムも、ヤコブも、モーセも偉大な民族の祖ですが、聖書は彼らの驚くほどの愚かさをあからさまに暴露します。その愚かさはむしろ我々との距離の近さを感じさせます。偉そうに尊大にふるまう人間ほどあやしい存在はいません。
受け入れられているようで、受け入れられていないわれわれ日本人。
受け入れられていないようで、受けられている日本人。
日本へのアジアの視線は二つあるように感じられてなりません。われわれの過去を見つめる真剣さ次第で、アジアの人々の視線も変わります。政治家が言うように、過去の切り捨てが未来指向ではなく、過去を見つめることこそ、ほんとうの未来指向なのだと思います。

(2005年08月07日 週報より)

おすすめ