ある転機
その昔、エジプトで奴隷として虐待されていた民が、モーセを指導者としてシナイ半島に横たわる荒れ野(砂漠)に乗り出して、ほぼ40年をその荒れ野の中でさまよった。約束の地に入ることは確かに困難なわざだった。約束の地は彼らから見て「乳と蜜の流れるところ」に見えるほど魅力的なところだった。当然そこには定住している人々がいた。そこに入れてもらわねばならないのだから、それだけでもすんなり事が進むわけではなかった。しかし約束の地の入り口―カデシュ・バルネアという名の地に到着したのは次のような記述があります。「ホレブからセイルの山地を通って、カデシュ・バルネアまでは11日の道のりである。」
<エジプトを出国すること>も実は大変な決断と、ついにはエジプト王による反撃は、エジプト軍を差し向けるところまで至り、神による奇蹟的救出によってなんとか道は開かれたものの、人々が砂漠の生活に耐えられるにいたるまでは、精神的に強められなければならなかった。しかし実はホレブから約束の地に行くことはたった11日の道のりでしかなかった。しかしその11日の道のりを越えるのに、イスラエルの人々は38年かかったのです。
じつはカデシュ・バルネアに着いて、モーセはイスラエルの12部族から一人の代表を選び出させ、約束の地について調査させたのです。その結果、前進を主張したのはヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブの二人だけでした。残りの人々はあることないことも含め、とても約束の地に入ることは不可能と主張します。そして言います。「我々はイナゴのように小さい。それに比べると彼らは巨人であり、我々は食い殺されるにきまっている。」
これを聞いて人々は「それくらいならエジプトに引き返したほうがましだ。」(民数記14:4)といいだし、人々の前でひれ伏しているモーセとアロンおよびヨシュアとカレブを石で打ちこそうとさえしたのです。
振り返ればイスラエルの人々がエジプト王の制止を振り切って、エジプトを出国できたのも、彼らの力によるものなどでは決してなかった。紅海を越えたのも、神の奇蹟そのものだったし、荒れ野に踏み出しても神の奇蹟は日毎に注がれた。荒野に踏み出してから、飢える日もあったかもしれない、渇く日々もあっただろう。砂漠を渡っているのだから。しかし彼らの過ごしている日々こそ神の直接的な介入に支えられた毎日だった。ところがその根源的ともいうべきその事実が見えない人には見えなかった。そこからは何の希望も感じ取れなかった。<モーセを石で殺して、エジプトに帰る>。エジプト王がそれをただ認めるはずもない。
そこから38年間、イスラエルは砂漠の中をただひたすらさまよい続けた。けれど、エジプトを出て40年。その歩みは無駄ではなかった。その一歩一歩、1年1年、人々は神の民として整えられていっただろうから。でも、歴史に“もし”はないというけれど、もしあのカデシュ・バルネアで衆議一決して、約束の地に向かっていたら、たった数年でイスラエルは約束の地にゴールインしたのだろうか・・・・・
(2014年01月19日 週報より)