明日は「春節」だ
1月も25日にもなると正月気分はとっくにふり切れて現実に追われ続ける毎日です。でも、明日1月26日が、旧暦からすると1月1日、中国でいう「春節」です。日本では旧暦を使用する習慣がすっかり遠のいていますが、中国や韓国では遠く離れている家族が、この日には一緒になって祝う大切な日なのだそうです。
確かに時間の流れに切れ目などないのですが、あえてある一点を特別なものと見なして、そこからなにかの行動を起こしていこうとするのは、とても人間的なことです。人は<こころざし>で生きている存在です。実際には昨日と少しも変わらない日ですが、それを出発へのきっかけとして、自分自身や家庭を考え直せるときは悪くありません。中国や韓国の人々と共に、もうひとたび正月気分を味わい、新年の思いにひたることも悪くありません。
正月には「初」のつくことばがつらなります。初夢、初笑い、書初め・・・。キリスト教的な意味あいで、それらしい言葉を挙げるとすると<初心>はどうでしょう。
キリスト者の初心は、キリストにつながって生きることにつきます。1年前は史上空前の利益を上げていた日本経済が、大量の失業者を生み出し、その原因を作ったアメリカの資本主義には<欲張り資本主義><カジノ資本主義>と批判されています。一気に世の中が様変わりして、変化のすさまじさにただただ驚きを感じます。
しかし世の中はいつもそういうものでもあるでしょう。日本のバブル絶頂期には、こんな人がと思うような人々まで株に手を出していました。教会すら、株式投資に手を出していたところも知っています。一つの気分の中ではそれはとてもおかしなことであるのに、そうとは思えなくなっていく心理的な仕掛けがあります。
だからこそ初心に立ち返ることが大切なのです。礼拝を重んじること。教会の仲間達のことを思い、祈りを大切にすること。聖書を読むことも。またひどい貧しさや暴力の犠牲になっている様々な人々を思い起こして、世界に正義と平和が実現することも大切な祈りです。
最近では「激動」という言葉が意味を失うくらい激しく社会が動いていきます。何にも動揺しない静かな心こそどれほど大切でしょう。キリスト者が社会のうねりに動かされずに、初心に生きていくとすると、あらためて信仰の大切さを証しすることにつながるでしょう。
乱暴に言えば、「太陽暦」だろうと「太陰暦」だろうとかまわない。人がこころざしをあらためて立てて、少し違った<わたし>を目指してみたらどうでしょう。春節をこよなく大切にする中国、韓国の人々とこの日を分かち合えたら、幸いです。
(2009年01月25日 週報より)