一人が重んじられるために
小学生のころ、リビングストンやスタンレーによるアフリカの探検物語を読んで以来、私は何かとアフリカのことが気になります。1968年にナイジェリアからの分離独立を求めた当時のビアフラで、内戦状態から悲惨な飢餓状態が発生し世界の注目を集めたことがあります。そんな大昔のことではないので御記憶の方々も多いと思います。この内戦に際して、イギリスとソ連がナイジェリア政府軍を支援し、フランスや周囲のアフリカの国々がビアフラのいわば反政府軍を支援し、血で血をあらう凄惨な殺し合いとなったのです。しかもこの内戦で100万人におよぶビアフラの人々が餓死するにいたり、戦争終結と飢餓解消が急がれたのです。
こうした問題に当時23歳だった私はいても立ってもおれないような思いに駆られたのです。さっそく、NCC(日本キリスト教協議会)に出かけてポスターと資料をもらってきて、府中の駅頭に立って 4,5日救援募金を、たったひとりで訴えたのです。結局10万円ほどをあつめて、送金したことがあります。
さて先週、曽野綾子さんの「哀歌」という小説を読みました。1994年に中央アフリカのルワンダ共和国でツチとフツという部族集団の対立から、ツチの人々が3ヶ月で 100万人が虐殺されたという出来事が背景になっています。ルワンダは第一次世界大戦までドイツが、そして独立を獲得した1962年まではベルギーが植民地支配したのです。フツとツチの人々は特別大きな違いはなく、しいて言えばフツの人々は農耕を、ツチの人々は放牧をして彼らの多くは牛を所有する人が多いということのようです。とはいえお互いに結婚もし、国民の多くはキリスト教徒が大半ということです。しかし植民地時代、ヨーロッパ人たちは、ツチは北のエチオピアから来た黒いアーリア人でヨーロッパに近い、高等な民族。フツは下等な野蛮人という人種神話を創り上げたのです。さらにベルギー支配の中で、人々はフツ、ツチのいずれかの民族であるかを 証明する身分証を持たされ、両者の亀裂、対立が深められたのでした。ルワンダ国民が人心一致して植民地政府に反抗しないように仕向けたのです。
しかし独立前の1959年には、ベルギーはフツ支援にまわり、フツによるツチ2万人虐殺がおこり、ツチ住民が周辺国に流れ出たことがあります。また大統領をはじめ多くのフツ人エリートが利権を独占し、大半のフツは貧しいままに放置されている現実の中で、政府は大半のフツ民衆が貧しいのは、ツチのせいであると宣伝し、ここでもツチへの怒りと、憎しみをあおりたてることが組織的に行われたのです。
そうした長い歴史的背景をもとにして、人々は貧しさや搾取の中で敵を作り出し、憎しみをためにためて、ついに権力者の意向に動かされて、1994年の100日で100万人といわれる大虐殺につながっていったようです。ただ正確な数字はだれも知らないようです。50万人から80万人という人もあります。しかし虐殺が半分の50万人になったとしても、それはそれで、途方もない大規模な殺戮であることにかわりはありません。悲しいといえば余りに悲しい出来事です。
しかし・・・それまで平和に生きていた人々がとつぜん冷酷な殺し合いに入ることは歴史の上ではしばしば起こることで、そうしたことから自由にされている個人や集団はないかもしれません。わたしだけは大丈夫とは思わないほうが良いかもしれません。キリスト者として残念に思うのは、そうした激しい憎悪と殺戮に、信仰による歯止めが効かなかったということです。ただ、教会が<地域、部族、国家を超えて和解や赦しを常に意識していなければ>そうした対立に、教会ですら、無力であろうと言うことは、想像に難くないだろうと思います。教会は、本来、民族や、国家を超えたところに存在したのです。
いまの時代は いっそう狭い民族主義、国家主義に傾いていく様相があります。国旗・国歌が強要され、愛国心が内申書で評価される日本もその方向にあるといえます。何よりも一人の人権が尊ばれ、一人の存在がいつくしまれるために、国を越え、民族や国境を越えて、人と人が手を取り合える社会が実現されることを、わたしは望みます。
(2006年10月29日 週報より)