希望がうせない明日を

社会全体に選別と切り捨てが強化される方向が危惧されています。つい先日、足立区の教育委員会が学校別の補助金を成績のよい優秀校には500万円、そうでない学校にはその半額にするとした決定をしたとのことです。それは今後、足立区のみならず 全国的な広がりを見せると考えられているようです。国家の役立つ優秀な人間だけを育て、そうでない人は選別から見放される方向が見て取れます。人間にはかけがえのない可能性が秘められています。
大器晩成という言葉もあります。わたしの友人でも小学校の時にはさっぱり振るわなかった子が、その後奮起して校長になったり、公認会計士になった人が何人もいます。小学校、中学校だけで選別が完成されたら本当に人を育てることにはならないかもしれません。教育における選別が、社会的地位や富の選別につながることが考えられます。そこから持たざるものからの不満、鬱積、社会への失望感が、いっそうの社会不安をもたらすことも考えられます。いかにこれを乗り越えるかこそが、政治や社会に問われるのであって、最初から選別を意図した政策は過ちといわざるを得ません。

聖書には落穂ひろいの場面がいくつも現れます。旧約聖書の時代貧しい人、寄留の外国人は他人の畑に入ることは許されていましたし、畑の所有者は収穫を自分のために取りつくしてはならないのでした。(レビ記19:9,10)有名なルツの物語もこの規定のゆえに落穂ひろいが可能になったのでした。ルツはモアブ人です。モアブ人はサマリア人以上に、ユダヤ人から忌み嫌われた民族です。そのモアブ人であるルツがユダヤ人資産家ボアズに受け入れられ、愛され、結婚し、やがてダビデ王の曾祖母になるのです。

ルツ記は捕囚後にまとめられたといわれます。時代的にイスラエルはアレクサンダー大王による東征を前に政治的な不安感が増幅します。政情不安が増すとき、社会はふつうナショナリズムに傾きます。当時のユダヤも例外ではありませんでした。そうした時代にルツ記が書かれました。ルツ記は全く偏狭な国家主義を否定し、人々の目を暖かい人間の心に向けたのです。

日本はだれも彼もが中流という時代から、富めるものはますます富み、貧しい人々はいくら働いても貧しいという社会的構図が作られつつあるといわれています。同様なことはアメリカでも当てはまると伝えられています。ユニセフからは悲痛な報告が届きます。寝る暇もなく奴隷的に働かされる何億もの子供たち。貧しさゆえに売春に追いやられる数知れない女性たち。落穂ひろいの精神こそ、この世界で大切にされなければならない心です。だれもが明日への希望に輝ける時代が来ますように。

(2006年11月12日 週報より)

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