2020年8月15日を迎えるにあたって

「問い:日本基督教団の本領は、何処にあるか?

答え:我が教団の本領は、皇国の道に則りて、基督教立教の本義に基き国民を教化し以て皇運を扶翼し奉るにある。」
『日本基督教団 信仰問答』

戦時期の日本の教会では、主日礼拝に先立って「国民儀礼」なるものが行われていました。それは前奏の後に、礼拝司式者が「礼拝に先立って、国民儀礼を行います。一同起立、宮城遥拝」と述べると、出席者全員が皇居の方角に姿勢を正し深々と頭を下げ「直れ、着席」と言われて、ようやく礼拝を始めることができるというものです。

内村 鑑三が「御真影」に最敬礼しなかったということを咎めた「不敬事件」以来、神社参拝を国民としての義務として容認していった日本のキリスト教会の行き着いた先は、天皇を拝まなければ主日礼拝すら行えないというものでした。

此際、本教団所属全教師ハ戦時下宗教ノ上ニ垂レサセ給フ大御所ヲ拝察シ奉リ、愈々宗教報国ノ決意ヲ新ニシ宏大無辺ナル聖恩ニ応へ奉ランコトヲ誓ヒ、且ツ益々一致協力皇国ノ為大東亜共栄圏建設ヲ目指シテ匪躬ノ節ヲ尽サレンコトヲ望ム

日本基督教団教団統理者 富田 満「日本基督教団令達 第3号」

第一戒あるいは皇帝のものと神のものに一線を引くというイエス・キリストが示した教え(マルコ12:17)を自らの身をもって表すことができず、「基督教の本義」の前に「皇国の道」を置くことでキリスト教ならざるものになっていった悲しくも哀れな姿です。

こうした「国民儀礼」は、1945年8月15日以後、スッパリと廃止されたのかと思えば、実はそうではありませんでした。多くの教会では1945年の秋まで、ある教会では何と1946年の春まで続けられていたことが、残された週報によって確認されています。それに対して植民地下にあった朝鮮や台湾の教会では、解放後最初の礼拝である1945年8月19日から「国民儀礼」のない本来の礼拝が喜びをもって行われたということです。

内地と外地で、何という違いでしょう。植民地における現地のキリスト者は日本人キリスト者によって強制された偶像崇拝である「国民儀礼」に対して痛みをもって経験していたのに対して、植民地本国である日本人キリスト者は不本意ながらであったとしても特に痛みもなく「国民儀礼」を受け容れていたのです。だから、8月15日以後も問題意識もなくズルズルと惰性で続けられていたのでしょう。これは8月15日を「光復節」とするか、「終戦記念日」とするかの意識の違いとも言えます。すべての日本人、特にキリスト者は、8月15日を「光復節」として迎えることが出来なかった(今でも出来ていない)という歴史的事実を、痛恨の思いで捉え返す必要があります。

白人警官によって首を膝で圧迫されて窒息死した被疑者が発した「息ができない」という叫びを、私たちはどのように聞くことができるでしょうか。

五十嵐 彰 (2020年8月9日 週報より)

おすすめ