それでも明日に向かって種をまこう

こんなに危機を抱えて1年を始める年も多くはなかったはずです。あれほどすさまじい原発事故を起こしても、全面的に原発廃棄を口にしない官。そして年末に政府債務が1,000兆円を越えたという報道がありました。これは1億2千万の人口で割れば、一人833万円の借金です。夫婦であれば1,668万円。4人家族であれば3,332万円の借金をすでに抱えている計算になります。借金はいつか返さねばなりません。国民が依拠する政治的、経済的地盤が掘り崩される危機が近づいている実感があります。

わたしの知人に80歳を過ぎている女性がおられます。他教会のかたです。とても信仰の篤い方です。この方以前は多くの牧師を助けてこられたのです。わたしが知り合ったときはすでに仕事を辞めておられました(つまり私はこの方の援助とは、全く、無縁です)。しかしあるとき彼女が何気なく、私は今まで多くの伝道者を援助するのに1億円は使ってきたといわれました。この方は別に豪邸に住んでいるのではないのです。普通のさほど広くも新しくもない住宅にお住まいです。その方の援助をうけて聖地旅行に行った牧師たちを私は何人も知っています。ご高齢で、夫はすでに他界しています。そうして多くの方々を助けたことから、何らかの見返りがあったかというと、たぶん全くないだろうと私はお見受けしています。しかしみずからすすんで、神の御意思と信じてこのかたはそう生きてこられました。

この一年この方が繰り返し20××年○月▽日にイエスキリストの再臨があると話されるのです。これを所属する教会の牧師さんに話したら怒鳴られて、叱られたそうです。このお話を聞いて、わたしも確かに主の再臨が<20××年○月▽日>にあるという話題についてゆけないのはたしかです。でもこれを愚かだとか、非聖書的だと非難する気にはならないのです。こうした話題は、これを口にする人の動機こそ肝要です。時にカルトのリーダーが、そのグループを屈服させるために同様の発言をする場合があります。しかしこの方については、そんな立場も野心もありません。この方は数年後の○月▽日のために信仰をもってこころ備えなければならないという並々ならぬ思いがあります。

キリスト者はキリスト教が成立して以来、キリストの降誕から、キリストの再臨までのときを生きているのです。それが<20××年○月▽日>であるのか、明日であるのかはだれも知りません。だからこそ『今日がわが人生の最後であるかのように(トマス・ア・ケンピス)』生きるのです。使徒パウロは「憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。」(エフェソ3:26)と書き送りました。怒り、憎悪、恨みを明日に持ち越すことは、その分、自分自身を破壊する事にほかなりません。今日という日は、<その日のために>こころを備える一日。きょうが最後の日であるかのように終末的に生きることは、じつは未来志向的です。
人生とは種蒔きにほかなりません。やがて収穫の日が来ます。見返りがあろうとなかろうと、キリスト者としてのよき歩みを続けたいものです。まさしくまかぬ種は生えるはずもありません。おそらく間違いなく今年は、世界も日本も未知の不安定な世界に漂流してゆくでしょう。押し流されるままに、この世とともに漂流することは賢くありません。岩(キリスト)の上にしっかりと、信仰という名の家を建てあげようではありませんか。(マタイ五章)

(2012年01月01日 週報より)

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