晩秋も美しい

枯葉舞う季節になりました。一年四季折々、それぞれ、なんと美しいのかと、おもいます。春の綿毛のような淡い緑。やがてそれが、目にしみるような深い緑にかわります。夏をへて、色づく秋。そして今、アドベントの飾りとともに、はらはらと赤、黄の葉が舞います。いずれの季節も負けず劣らず美しく感じます。絵を描ける人ならカンバスに向かうでしょう。音楽のできる人なら、楽器に向かうかもしれません。何もできない私はただ感心することしかできません。でも感じ取ることなら人並みです。1月から2月、落葉した木々は一見、生の営みをとめているように見えます。でもわたしは毎年、この時期桜の花芽が、ずんずん膨らんでいくのに驚かされるのです。活動停止としか思えない厳冬の季節に、じつは二,三か月後に来る満開の花びらが備えられています。

人生にも、四季があります。人生は自然のように美しいとは言いかねるところもあります。人は、花木ではなく、動物だからです。人生には美しいことばかりでなく、失敗もあり、苦々しい経験を重ねていきます。でもどんなに生きることが不器用で、失策だらけだとしても、自分を生かしてくださっている神を知るときに、自分の生が無駄だとは思わなくなります。人生の道は、常に紆余曲折だらけです。上り坂と感じるときは息が切れそうですし、楽な歩みのときはじつは下り坂を落ちて行くときだったりします。人生は四季どころか、常に見える風景が違うのです。

いずれ誰しも、人生の最後のステージを迎えます。花木でいえば、2月のときです。桜と違って、人の地上の人生は、そこでピリオドを打ちます。しかしやはり、それは、それで、終わるのではないのです。人は冬をむかえ、過ぎ去ったばかりの紅葉の美しさを心に思いかえすのです。また、これから圧倒するように咲く満開の桜を予感するのです。人は冬の季節に立ち至ってこそ、生きることの喜びや幸いを、子や孫、その年齢にある人々に、手渡すのです。
80年、90年の人生を通して証明された言葉には、重みがあります。それは次の世代が花咲くために、つぼみ、芽生えを意味するのです。若い世代は、高齢者に問うのです。
「人生は生きるに足るものですか?」
人生の先輩方は答えます。
「そう、人生ほど、努力と苦労をする価値あるものはない。」
それを聞いて、若者は力を得ます。そして直後に、満開の花を咲かせることでしょう。

人生四季それぞれに美しい。落ち葉舞う、あざやかな紅葉のつづら織りに、われを忘れそうになりました。

(2006年12月03日 週報より)

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