ローマ雑感
長女に会うために今回はある事情からローマに行くことにした。宿はたまたま日本人女性が取りしきる破格に安いB&Bを連れ合いが見つけて、10日ほどお世話になることになった。場所はローマ・テルミニ駅から数分のところにあります。今回のローマでまず驚いたことがあります。それは新聞やテレビでも伝えられていることですが、アフリカ系の人、バングラデシュ系の人々のあまりの多さです。とくにアフリカからは次々と密航船で押し寄せているようです。周囲をざっと見渡すだけでも3割を超す人々がそうした人々です。良し悪しの問題ではなく、彼らは命がけでイタリアを目指すのです。宿のマダムいわく「アフリカからの方々は悪いことはしません。ローマは、刃物強盗は少ないのです。でも財布は盗まれる人が多いので、くれぐれもご注意ください。」
さてそこで外出した。ローマは地下鉄がA線とB線の2系統しかありません。なぜなら埋もれている遺跡が多く、それもエトルリア、ギリシャ時代のローマ以前の地下遺跡、そして当然ローマ時代、その後のルネサンス期の遺跡などなどが層をなして埋まっているため地下鉄が掘れないというものでした。
私の目にはローマ市は遺跡が多いというより、遺跡の中に町が存在しているとさえいえるように感じました。ローマ時代の建物で、トレヴィの泉からさほど遠くない場所にあるパンテオンという建物というか教会があります。これは一度火事で焼失し、ハドリアヌス帝が2世紀に再建した建物が、今なお現役として使われている建物です。ローマの最盛期を作り出した時代の建物がいまだに教会として機能していることに感動を覚えない人はいないでしょう。この教会には画家ラファエロが埋葬されています。イタリアでは教会の床下はしばしば有名人が埋葬されています。ハドリアヌス帝は五賢帝のひとりと言われる人で、イギリスのイングランドとスコットランドの間にケルト人の侵入を防ぐ長い長い防壁を建設したことで知られます。ローマの繁栄は、外に向かっての侵略とローマの拡大で異民族を服従させ、国家の拡大とそれによってもたらされた人々を奴隷化することによって自由民としてのローマ人を支える制度でした。ハドリアヌスはもはや拡大は困難と決断した最初の皇帝だったのです。それはもはやローマは今後衰退するほかない存在であることを自覚した最初の皇帝でした。この人が再建した建物こそ、この立派なパンテオンです。
ローマにはとてつもなく多くの教会があります。立派だからよいというのではなく、立派すぎて教会らしくないのです。あまりにも贅を凝らした立派な教会は、少しも教会らしくはありません。立派かどうかは問題ではない。むろん立派でも教会らしいたたずまいを残している教会もあります。でもそれは例外的でしょう。ペトロが美しの門にいた物乞いに言った言葉「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人、イエス・キリストの名によって立ち上がり、あるきなさい。」(使徒3:6) これは教会が自らを戒める言葉であったのにいつの間にかどこかに忘れてしまったのです。
300年近い迫害の時代を過ごした初代教会の歩みは偉大です。けれどコンスタンチヌス帝によるキリスト教公認は、教会を一気に権力者の持ち物に変えてしまいました。いわばローマ帝国に、教会が乗っ取られた形に取って代わったのでした。今も競馬場の名残を示すナボナ広場の夜の喧騒は、口から火を噴く魔術師や手品を見せてくれる芸人、ワインやビールで酔った群衆、これは2000年前のローマ人の大騒ぎと少しもかわらない情景に私には見えました。そう、ローマ帝国は滅びてはいなかった。現代に立派に生きているのではないか・・・。ばかばかしい見方ですが、私にはそんな風に見えたのです。そしてローマがこうして生き続けている(?)ことに改めて私は驚嘆したのです。そして私は先週、多摩センターの書店でハドリアヌス帝が教育したマルクス・アウレリウス皇帝の<自省録>を購入し、読み始めました。哲学者として知られるマルクス・アウレリウス皇帝は謙虚で、誠実で、克己をめざし、できうる限り他者に対して寛容であろうと目指した哲学者でした。歴史において唯一哲学者が政治を行った実例と訳者の神谷美恵子さんが書いています。
おそらく私の見たローマは、幻想でしかないかもしれない。客観的でもないし、正確でもないだろう。でもマルクス・アウレリウスにたどり着けたことは一つの収穫だった。あの300年近い迫害時代を耐え抜いたキリスト教を、極端に言えば、換骨奪胎して自らが生き残る力と変えてしまったローマの力は、今なお生き続けている・・・・。
人の営みはいつも不完全です。あまりにも巨大で、あまりにも贅沢な教会は、それゆえ教会らしくはなく、今なお改革を迫られています。そしてローマという強大な権力の限界を見据えたハドリアヌスや自らの心を謙遜に見つめようとしたアウレリウスを生み出したローマはやはり偉大です。
(2015年07月12日 週報より)