どん底から、パラダイスへ

ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕…十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」するともう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの酬い受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

ルカによる封印書 23章 32~34, 39~43

主イエスは十字架につけられつつ、これだけの出来事を劇的に表されました。場所はゴルゴタの丘。絶望と死 以外の何ものでもない十字架上の出来事。主イエスはまさしくこの場所で、片方の十字架に釘付けられた悪人の心を目ざめさせ、「あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいる。」と約束したのでした。悪人だったこの人にとって、どん底そのものであるこの場所を、主イエスはパラダイスへの入り口に変えたのでした。彼がそこまで身を落とすには、それなりの不幸な過去があったのかもしれない。主イエスは、恵まれない人生を、悪徳とすさんだ環境の中で過ごした一人の悪人の魂を救ったのでした。

物質的には何もかも豊かに恵まれていても、心満ち足りず悶々と苦しむ人々は多くいることです。主イエスは死刑台にも、陰府(よみ)にさえ(使徒信条)赴いて真のパラダイスを取り戻してくださる方です。今日も主イエスの救いの御手は差し伸べられています。

牧師 小枝 功(2022年8月4日 週報の裏面より)

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