そろそろ心を決めて
わたしはこの10月で65歳を迎えました。これは、ひとつの区切りときということはできます。平凡で、淡々とした、どうということのない生涯をすごしてきた人生といえます。ふり返って見て、ある歴史の一点がその後の歴史に大きな変化や影を落とすことになったことをいくつか思い起こします。
たとえば1963年-J・F・ケネディ暗殺。その様々な演説を通して心動かされていた、18歳のわたしにとって、大きな衝撃を受けた事件でした。その死を悼んで発行されたライフ誌は何年も手離すことがなかった。また国葬とは別にボストンの大聖堂で行われたモーツアルトのレクイエムによる葬儀ミサを録音したレコードは、司式の司祭の祈りとともに、会衆のすすり泣きも録音されています。演奏するボストン交響楽団も、深い、深い悲しみを表現しており、何度繰り返して聞いたかわからない。
さらに1968年-チェコ事件がおこり、敬愛するM・L・キング牧師の暗殺に続いてロバート・ケネディの暗殺事件が起こった。自由の封殺をひしひしと感じた事件です。ロバート・ケネディ暗殺事件を聞いたのは、ある宣教師のお宅にいたとき。彼らの悲しむ姿が忘れられません。そして、その揺り戻しのように起こった1989年-東ヨーロッパ自由化と引き続いて起こったベルリンの壁崩壊はヨーロッパの様相を一変させました。
けれどその間1969年にアフリカ、現在のナイジェリアで民族紛争から戦争に発展したビアフラ紛争が起こり、この時200万人と伝えられる人々が餓死した事件がありました。この時、数日のあいだ、府中の駅頭でたった一人で数日間街頭募金に立ったことがあります。府中警察で道路使用許可をお願いしに行ったときに、事務的な対応のみを予想して行くと、 交通部長さんが現れて、あまりににこやか丁寧な対応に驚いたことでした。結果15万円あまりをNCCに送った。しかしその後に起こったベトナム戦争、カンボディアのポルポトによる虐殺、ルワンダ事件、コソボにおける悲劇。個人の問題は脇においても、世界中で混乱の途絶えることはなかった。
キリスト教会内部では見越しにされ続けているけれど、パレスチナ人のおかれた状況もあまりに不当な、不正義なものです。われわれのおかれている日常が、見過ごしに出来ない危機の中にいる印象があります。
旧約聖書の預言者と言われる人々が、神の召命を受けたときもそれぞれに危機の時代だったといえます。旧約聖書の代表的な預言者はイザヤです。イザヤは偉大な足跡を残した王ウジヤが死んだ年に召命を受けたのです。ここからユダ王国も弱体化の一途をたどり続けます。すでに分裂した北イスラエルはアッシリヤに征服されていました。イザヤはその一部始終を目撃していました。けれど滅び行く国家に身をおきながら、イザヤは逆に、限りない神の働きかけをそこに見出すのです。人は神を、目に見える繁栄や、幸福や、形の上での平和として受け止めるのです。けれど神の働きかけはベルリンの壁の崩壊のような可視的な状況で現すこともなさいますが、人の目にはそうとは見えない状況においても、神は行動し、その働きを勧めるのです。国が傾き、賄賂が横行し、経済弱者は律法に反し奴隷に売られる。人々は<神は死んだ><神はイスラエルを捨てた>と一方的に断じる中に、イザヤは神殿で圧倒的な神の臨在を見たのです。
しかし同時に彼が神の前にふさわしくない存在である、汚れた存在であることを見るのです。だからこそ、神による赦しと、神に夜イザヤの召しを確信します。神は「わたしこそふさわしい神の器。」などと公言する人物をお召しになるわけがありません。イザヤはイスラエルがもっとも困難だったつまり崩壊のイスラエルを50年間見続けながら、正しく神の言葉を語り続けました。イザヤは神の言葉を聞き続けたからです。自らの言葉を神の言葉として、雄弁に語る偽預言者はいつの時代にも事欠くことはありません。雄弁で人を圧倒し、自分の意思を押し通すのです。ですから偽預言者です。イザヤは聖なる神の前に打ち砕かれたのです。罪の許しを深く経験したのです。自らの罪深さにおののきながら、赦されるはずのない自らの罪を赦す神を見上げたのです。そこに決して見えるはずのない神を見、この神に生かされる自分自身を見出したのです。たとえ国家が崩壊していこうとも、その中で生きている神のみ手を確信したのです。
一方に人間の救いがたい罪があり、他方にその崩壊の中でやがては勝利する神の、人の目にはかすかにしか見えない神のみ手があります。信仰の目を覚ますときに、見えないもうひとつの現実が見えてくるのです。神に一歩足を踏み出し、逡巡と躊躇にはピリオドを打つときに、自分自身のことも、自分をめぐる世界も、違った見方、判断が開けてきます。
(2009年10月18日 週報より)