キリストと共に生きる

先週16日「部落差別解消法案」が自民党、公明党、民進党の賛成で法務委員会を通り今国会で通る見込みと伝えられました。野党が反対したのは法案に盛り込まれた「部落差別の実態調査」が新たな差別の掘り起こしにつながるとしたからでした。調査が続けられることが終わることがない「部落差別」を一層固定化し、永久化すると批判したのです。それにしても提案する側も、法案に反対する側も部落差別がいかに深く日本人の心に染(し)み付いたものかに驚かされているのではないでしょうか。

30年も前に「峠の道―部落に生きて」(西門民江 著)という忘れられない本を読んだことがあります(教会の図書室にあります)。当時、著者は70歳を超えた部落出身者で、かつて看護婦を生業としていました。時代も時代で厳しい身分差別、貧困、教育差別を経験された方でした。

結婚して夫は赤紙一枚で兵隊にとられ、同様に部落出身であるがゆえに軍隊手帳に<新平民>と記載され、兵営では特に厳しい制裁を味あわされたのです。戦後、1959年に長女が念願かなって同志社大学に入学を果たします。長女ははじめミッション系大学でもあり差別など意識することもなかった。しかし実はこの大学にも眼に見えない差別の網はしっかりと張られていたのです。やがて彼女は大学2年生で中退のやむなきに至ります。

人間として生きるためにも、部落を抜けだす第一の条件も学問にあると信じて、貧乏という不幸を乗りこえて一歩一歩けわしい峠の道を登ってきたのです。いくら部落に生まれてきても、せめて子どもだけはよい人間、立派な人間に育てたいのです。それなのに私の努力も、根気もむなしく、頂上まで登れきれず、ドスンと大きな音をたてて元の日の当たらぬところへ、大事な娘は落ちてしまいました。

部落はどうしてもはい上がることができないのでしょうか。ちさは決して弱いのではありません。よじ登ろうとけんめいに努力したのですが、社会は許してくれません。差別という壁はどこまでも厚く、どこまでも高いのでちさの小さな手も私の力もただ滑り落ちるだけで どうしても乗り越えることができませんでした。

「峠の道―部落に生きて」(西門民江 著)(175頁)

娘さんの挫折が同志社大学で起こったことはキリスト者として心が痛みます。著者は大学や教会に対して批判・攻撃の言葉を語りません。しかし事実はあまりにも深いのです。でも部落差別問題は教会も様々に汚点を残しました。関西の教会が会堂建築の為土地を買い求めました。よくよく調べるととそこは被差別地域のさなかに位置していました。まさに差別に苦しむ人への福音の拠点ともなる場所でした。しかし教会はさっさとその土地を売り、問題のないところに教会をたてました。

キリストは99匹の羊を野においても、失われた一匹の羊を探し求める方でした。当時の人々が忌み嫌った罪びと、徴税人、羊飼い、病人、娼婦さえ自らの手を差し伸べたのです。ユダヤ人たちはそうした人々の間に壁を作ろうとしました。現代のイスラエル人たちもパレスチナとの間に分離壁をたてています。アメリカの次期大統領トランプも、メキシコとの国境に長い高い壁を作ると語ります。

現代においても様々な差別やハラスメントがあります。差別やハラスメントの既得権者が手放そうとしないからです。しかし人という存在は尽きるところ原始的ではあっても、アフリカの一人の人・一組の夫婦を起点に分化して今の人類があるようです。すべての人間はみな家族。キリストにあって兄弟姉妹。

(2016年11月20 週報より)

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