よき人々に囲まれて

ついに教会にドロボー君が入り、スマトラ献金を箱ごと持って行かれました。最近のある日曜日の午後の出来事でした。献金の大半はすでに引きあげられていましたので、持って行かれたのはごくわずかな、三百円ほどのコインだった。実害というより、あの大きな献金箱が無くなったことが惜しまれます。小心な私は、玄関に早速鍵をかけることにして、第二、第三の被害をくいとめたいと思ったのです。でも近くのカトリック教会は、何度も何度も、窃盗の被害にあっていましたが、いつ訪ねても、神父室まで自由に入れました。『盗まれても、何があっても、教会に来る人は、誰ひとりこばまれず、歓迎です。』そんなメッセージが伝わってくるようでした。そこまでおおらかになれない凡人の私は、こうした出来事に直面して、犯人さがしまでは出来ないけれど、つい人への警戒心が昂じて来そうになります。でも、もしかすると、盗んだ側では、悪いとは知りながら、止むにやまれぬ事情があったかも知れない。何日も食事をしてなかった人が、家族には食べさせたくて、つい出来心に負けて手を出したのかも知れない。わずかなお金で、当面の飢えが、少しは満たされたかも知れない。世の中には本当は圧倒的に、極めて善良な人々によって支えられている事実を忘れてはならない、と自分に言い聞かせたことです。

そこで、かつての事を一つ思い出したのです。実は区画整理の前、かつて教会のすぐお隣は、寿司やさんの一家が住んでおられました。店は100mほど離れた、ラーメンやさんの向いでした。私が由木教会の働きをスタートした年、1973年。すでに32年も前、結婚する前年の事です。南陽台での英語教室を終え、夜の11時半頃、疲れ果てて帰って寿司店の前を通った時、「牧師さん、ちょっと寄って行きなよ。何でもいいから食べていきな。」ビールをついで、御馳走してくれたのです。当時の私は、会堂の返済金に追われ、時間に追われ、夜は時折食べるものさえない、という日もしばしばあったのです。
この寿司やの主人のMさん、見上げた人でした。少し短気な所がありましたが、極上の寿司を握る根っからの職人でした。店では、ぐちる人、酒に酔って泣く人、扱いにくい様々な酔っ払いを夫婦で上手にあしらっていました。けれど中にはそのまま酔っぱらって、酔いつぶれる人がいるのです。この寿司や夫婦はその人を教会の隣の借家の自宅に連れて行って一晩泊めて、翌朝は朝食を食べさせて、会社に送りだしていたのです。寿司やさん夫婦はこの人を教会に行くように熱心に勧めてくれました。その結果、彼は毎週のようにに教会に集うようになった一時期がありました。サラリーマンには転勤がありますので、残念ながら洗礼を受けるには至りませんでしたが、この寿司やさんの献身的な労には、若い私たちにはとうていまねの出来ないものを感じたのです。やがて区画整理のゴタゴタのなかで、やむなく店を手放して、町田に引っ越して行かれた。

善良な人がいつも幸せで常に長命を全うするとは限りません。寿司やさん夫婦は、移転した直後、夫人が<くも膜下出血>で倒れられたのです。なんとか一命を取り留めたものの、困難なリハビリを夫が支えることになったのです。彼女は今ではすっかりお元気になられましたが、夫はガンを患い、風のように地上の生涯を終えられてしまいました。新聞やテレビの報道を見る限りにおいては社会は一方的に悪くなる印象があります。でもわれわれのまわりを見ると、さわやかに、善意と愛にあふれて、驚くほどの忍耐や優しさを持って歩んでいる人々に囲まれているのことに気づきます。こうして日常を生きる人々に教えられ、支えられて、今の私があります。この寿司やさん夫婦は、私にとって忘れることのできない素晴らしい人々です。

・・・・でも献金箱を持って行ったドロボーには言いたい。

<悔い改めよ。>

(2005年05月22日 週報より)

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