小池小草応急仮設住宅を訪ねて
今回は福島県南相馬の被災地訪問について書かせて頂くことにします。12月28日、由木教会での礼拝と掃除を終えて、私たち夫婦は、塩谷ケリーさんとお嬢ちゃんの歌乃さんと共に福島県南相馬市鹿島区小池小草の仮設住宅を訪ねました。ケリーさんの車に同乗させて頂くのですからあり難い話です。そのうえ彼女の運転はかなりのスピード(私の印象です・・・)で飛ばすのですから、東京-東北間もあっという間の出来事です。とはいえ、常磐道から6号線に入るとすでに暗くなっていましたが、気配は突然、放射能区域に入った印象があります。かなり厳重な警戒と封鎖が敷かれており、6号線メインストリート以外に横道に入ることは許されないのです。そして遠くに、なおも放射線を放出する福島第一原発の照らす照明が見え、大熊町、双葉町、浪江町と言う八王子から比べると100倍ほどの高濃度汚染区域を通り抜け、小草応急仮設住宅に着いたのです。
到着は夜9時過ぎだったでしょうか。この仮設住宅には88世帯、136人が住まわれています。おそらくいくつもの区画に分かれているのでしょう。今回はその一角で40名ほどの方々が、そのパーティに参加されるとの事でした。到着して私たちが泊めて頂く公民館のような集会所に10名ほどの方々が北寄貝入りのおにぎりや手作りの幾つもの種類の漬物などなどが用意されていて、どれもこれもとても美味しくいただきました。
今回のメイン・イヴェントはケリーさんに言わせると<忘年会>との事でした。ケリーさんの東北への思い入れは深く厚いのです。彼女は七面鳥(ターキー)を準備していました。七面鳥の腹に入れる詰め物も小草のご老人たちが食べやすいようにと、大葉が日本風にきざみこまれていました。翌日朝7時にオーブンにターキーが入れられ、6時間じっくりと焼かれ、見事に仕上がりました。その間、つれあいはあつまってきた女性の皆さんにクラフト作りを教えて、喜ばれました。
その日29日の午前中、ヴォランティアのT氏が周辺の案内をして下さることになりました。T氏も被災者です。かつては被災以前は養蚕農家でした。小高地区周辺は今でも放射線量が高く、一見何の変哲もない町が広がっていますが、未だ人が住めるような線量まで下がっていないとの事でした。T氏の家は蔵があり、蚕のための仕事部屋としての2階と、とても広くて立派な二階建てが空しく空き家として放置されていました。それだけではありません。その一帯は、最近住民の帰還が認められる地域になったとの事です。しかし実質的には線量そのものが低くなったわけではないので、帰還を考える住民は、放射能を恐れない(!)例外的な勇気ある高齢者に限られるとか。
そこで大々的な除染が始まり、田んぼには縦・横・高さ1mほどの除染物質が1万個並べられており、ゆくゆくはこれが百万個に達するそうです。放射性物質は無毒化に100年、200年どころか1000年2000年、さらには1万年2万年かかることでしょう。すっかり瓦礫は片付いた東北に,途方もない、どこにも捨てようのない廃棄物の山が覆い尽くします。
にもかかわらず、パーティで一人一人お酒も手伝って語った小草の人々は、「訪ねてくれてありがとう。私たちは嬉しい、幸せです。」と何人もがそう語って下さいました。東北の人々はあの狭い仮設の中で、この困難な状況にもめげずに、そう語れることに私は驚いたのです。日本は災害国だから、いつ我々が仮設住宅に住むことになるかわかりません。東北から学べるものはとても大いに違いありません。次回お訪ねすることが楽しみです。
(2015年01月04日 週報より)