ある洗礼式
次の文章はあるカトリック信徒がご自身の洗礼式について書いている文章です。
12月24日晴れ、今日はクリスマスイブ待望の日である。志村神父様は、儀式服をお召しになり、とても静かな面持ちでお祈りを捧げておられた。私はやがて招かれて十字架の正面に進み出る。そして、厳粛に洗礼を授かる。ことに額(ひたい)に十字の印を刻むように受けた時には、私の全身の周囲が明るくなり、和らかな光さえ感じたのであります。洗礼の妙、幸福の永生、輝く星花を感激に満ちて凝視したのである。この時こそ正に私にとって新鮮な歴史が開花する瞬間であった。いや、歴史だけではない、キリストの福音にあって勝利と誉を歌い上げる天上の予感であった。予感だけでもない。精彩を放ってあたかも勝利を組み立てる芸術者たる神を拝む心地よい感動の極地であった。そうだ、あの瞬間は,あらゆる高義なものが結実された私にとって、唯一最大の栄光の絶頂であったのだ。アーメン。霊名パウロ
1984年12月24日に、感激に満ちた洗礼を受けたのは袴田巌さん、そう逮捕から48年、死刑宣告されて43年、最高裁で死刑確定してから33年、一貫して無罪を叫び続け、このほどの再審決定で釈放を勝ち取った方です。私の手元に1冊の本があります。1992年刊「主よ、いつまでですか」(副題)無実の死刑囚袴田巌獄中書簡<袴田巌さんを救う会編>がそれです。記述は、
Ⅰ. 1966-1968年<真実を求めて>
Ⅱ. 1969年-1975年<無実の叫び>
Ⅲ、1976年-1980年<死に直面して>
とつづきますが、
Ⅳ. 1981年-1989年は一転して<獄中からの祈り>にかわります。
最高裁で死刑が確定して以来、いつ処刑されるか分からない日々を30年以上を耐え抜く力はどこにあったのだろう。一つは最初の段階で受けた取調べはひどい拷問を伴ったものでした。『私に対する取り調べは人民の尊厳を脅かすものであった。殺しても病気で死んだと報告すればそれまでだ、といっておどし、罵声をあびせ、こん棒で殴った。そして、二人一組になり三人一組の時もあった。午前、午後、晩から11時、引き続いて午前2時頃まで交代で殴った。それが取調べであった。目的は、殺人・放火等犯罪行為を成していないのにかかわらず、なしたという自白調書をデッチあげるためだ。』(同書114頁) 現在ではありえない取り調べだろう。こうしたやり方に耐えられる人間はいない。
今回の新聞報道では、物証はねつ造されたものであり、裁判官は「証拠をねつ造する必要と能力を有するのはおそらく捜査機関(警察)のほかにない」と批判した、と伝えました(朝日・28日朝刊)。袴田さんには真実こそ勝利するという強い信念が、獄中生活を支えたのだろうと思います。そしてさらにキリスト教信仰という心の支えだったでしょう。特にカトリック教会は心の支えとともに再審への道のりでも大きな力を発揮したようです。
この本の第4部の部分は、おりに触れ聖書と信仰への思いが描かれます。私たち一般のキリスト者にとってみれば、キリスト教信仰は何ら特別なことでなく、日常の一部を作り上げているにすぎません。しかし人生には、突如、その生涯を左右する出来事、ことによれば、生か死かを分けるような出来事が隣り合うことだってあり得ます。その時にキリスト教信仰を生きているか、いないかでは、受け止め方に大きな違いとなって表れることがあるのではないでしょうか。
(2014年03月30日 週報より)