平和聖日によせて
由木教会は例年、8月第一主日を<平和聖日礼拝>として、広島・長崎の原爆の惨禍の犠牲となった人々をおぼえ、わが国が二度と侵略戦争に加担してはならないという思いをこめて、平和への祈りを捧げます。核兵器の使用は、68年前よりもさらに現実味を帯びています。最近ではカシミール紛争の当事国であるインドとパキスタンの間で2002年に、核のボタンが押される直前にまで立ち至ったといわれます。それだけに核戦争を起こしてはならない思いは世界共通で1968年核兵器不拡散条約が締結され、現在は190カ国がこれを批准しています。
しかし当時核保有国だったアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国に加え、現在はインド、パキスタン、北朝鮮、そしてイスラエルが核保有国になっているといわれます。イスラエルが核保有すれば周辺のアラブ国家が核保有を目指す誘惑に駆られることは当然の成り行きでしょうし、北朝鮮が核保有すれば、韓国にとってそれがどれほど危険なことか、はかりしれないことです。
そこで(これからは朝日新聞が伝えることですが・・・)核不拡散(NPT)条約がいわば無実化する中で、国連は2年後にNPT条約再検討会議の準備を始めたのです。そも、5カ国にのみ核保有を認め、それ以外の核保有を禁じるという考えそのものがあまりにセルフィッシュな考え方で、全面核保有禁止こそ求められることです。とはいえアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国が核放棄する見込みの立たない今、4月に行なわれたNPT再検討準備会議で<核兵器の非人道性を訴える共同声明>が発表され、スイス、ノルウエー、メキシコ、ニュージーランドなどが16カ国が共同提案国になり、80カ国がこれに賛同したのです。これに賛同しない国は11カ国あり、驚いたことに、核兵器の唯一の被爆国である日本も、賛同しない側に立ったと伝えられました。共同声明は<核兵器がいかなる状況でも使われないことが、人類生存の利益となる>と謳いあげているのです。
核兵器の不使用を嫌ったのはアメリカです。そして日本代表は<いかなる状況でも ―under any circumstances― 核使用せず>という文言の削除を求め、むろん支持されることはなかったのです。この非賛同国にはアメリカとの軍事同盟国である韓国やドイツも含まれています。ただ軍事同盟国でも不使用に賛同している国もあります。とはいえ広島、長崎の惨禍を経験した日本は他の同盟国とは、特に核の不使用において率先して他国に訴える立場にあると誰しも思うはずですが、日本政府はそうは考えなかったのです。まさかとは思いますが先に発効した原子力基本法では原発を日本の安全保障に資するという一項がありますし、すでに日本が保有するプルトニウムは40トンを越し、いつでも核兵器の製造が可能とも伝えられています。核使用を温存しようという考え方の中に、日本もいつかは核大国の一角を担いたいという思いが隠されていると予想することは考えすぎでしょうか。疑いは残ります。
思えば4年前の2009年4月にオバマ大統領はチェコのプラハで<核の無い世界を創ろう>と呼びかけ、ノーベル平和賞を与えられました。オバマ大統領はその後、変身したのでしょうか。周囲の圧力で態度を翻したのでしょうか。ぜひ語られた理想どおりの行動をお願いしたいものです。私たちは小さな存在でしかありませんが、核兵器の全面禁止、いついかなる状況においても核の不使用を主張し続けなければなりません。小さな、小さな平和聖日礼拝。でもここには大きな意味があります。
(2013年08月04日 週報より)