世俗化と宗教化に抗して
例えば、ここに一人の青年がいるとする。彼は学生として真面目な教会生活を送っていた。しかし彼が学校を卒業し、就職すると共に、一つの危機が訪れる。それは、彼がとにもかくにもそれによって生きることを願い、それによって生きることができると信じていた福音の論理が、職場では通用しないということであり、そこでは別の論理が必要だということである。それはあまりにもありふれたことに違いないが、しかしそれに当面した人間にとって深刻な問題であることに変りはない。この青年は自分の信仰生活と職場での生活の矛盾の中に立って、その間に何とかして調和を保ちたいと願う。彼はそのために努力し苦しむ。しかし、一定の期間の後に、彼は一つの結論に到達する。それは、これまた極めて平凡な結論であって、教会で語られることは、人間の私的な個人的な内面的な世界のことであって、それを世俗の世界に持ち込むべきことではないという結論である。教会の論理と社会の論理はちがうという結論である。そういう結論に到達しても、彼が真面目なキリスト者であることに変りはない。彼にとって教会が必要なことにも変りはない。神は彼にとって、不安や孤独の中での慰め手であり、教会はわずらわしい職場の生活からの避難の場所であり、信仰生活が彼の家庭生活の中心であることにも変りはない。しかし、彼はもう職場の中で教会の論理を貫徹しようなどとは考えない。そこでは社会的良識というような物差しで生活することに、疑いをもたない。或いは、それ以外に仕方がないと考える。つまり彼は、自分の生活の中に一つの線を引いて、その内側では極めて真面目なキリスト者であるが、しかしその外側の世界は、世俗の力に委ねてしまう。そこでは世俗の力の前に屈服し、城を明け渡す。従って、彼の生活は一方では次第に世俗化してゆくが、しかしそれとは裏腹に、あるいはそれとちょうど反比例して、彼の教会生活は次第に宗教化してゆく。彼にとって、教会というものは、世俗という荒海の中に浮かんで、それから隔離され守られた一つの聖なる小島のようなものになってゆく。従って、そういう教会の中で社会や政治の問題が語られることを、彼は好まない。そいう問題が教会の中に持ち込まれるのは、教会の世俗化だと考える。
井上良雄1995『戦後教会史と共に』:242-243
ありそうな話しである。しかしこのことは単に一個人の問題に留まらない。戦時中の日本のキリスト教会は、教会を守ることを優先して国策に迎合していった。しかしそこに守るべき教会は既になかった。神社参拝や宮城遥拝を受け入れた時点で、形としては残っても内実は非キリスト教会であった。そのことに深刻な反省が加えられることなく、戦後の再出発がなされた。それがなされたのは、日本基督教団で戦後22年、ホーリネス教団に至っては52年後である。
キリスト者であるということは、いったいどのようなことなのだろうか? 私たちは、ある意味では父であり母であり、また会社員であり主婦であり学生である。そうした社会的な立場と同様に付加されるものとして、キリスト者でもあるのだろうか? そうではない。私たちは日本社会で生活する社会人であり、日本国で生活する日本人であると共にキリスト者であるのではなく、こうした在り方を基礎づけるものとしてキリスト者なのである。個人が社会の中に生きるのと同様に、教会もまた日本社会の中に存在している。社会との関わりを持たない宗教化を求める修道院のような教会もある。また信仰や福音が語られることなく、単なる社会的な社交場と化しているような教会もある。私たちは、こうした宗教化にも世俗化にもきっぱりと拒絶する覚悟が求められている。
何故か。それは私たちの導き手であるイエスの生涯が、ユダヤ教の指導者や律法学者と対峙しつつあえて狭い門を選び急峻な尾根道を辿るような歩みであったからである。だから私たちもそして私たちの教会も、社会と断絶した孤島のような教会ではなく、世の中の原理を自分の原理とするような形骸化した教会でもなく、この日本社会にあって主を告白するキリスト者でありその教会であることを、あろうとすることをはっきりと自覚する必要があるのである。
五十嵐 彰 (2013年5月12日 週報より)