今日はエキュメニカル礼拝だ
本日午後、わたしたちはキリスト教一致祈祷週間の礼拝<姉妹教会交流会礼拝>を行います。振り返れば様々な出来事や人々との出会いが、 そのときは偶然おこったように見えていたものの、その背後で神が導いてくださって今があるというほかはありません。3教会は姉妹教会といっていますが、わたしにとってはここに他人とは思えない居心地のよさ、肌合いのよさが感じられるのです。教派を越えての素晴らしい教会と出会えたことが、今をもたらしています。日本キリスト教協議会とカトリック中央協議会はこの礼拝のプログラムを用意するばかりでなく、この冊子に前年の一致礼拝の献金報告を発表します。それはつまり一致礼拝の実施状況を表す実績ともいえるリポートです。
キリスト教一致祈祷週間は毎年<1月18日~25日>です。ただ地域によって多少日程のズレが出ることは問題はないのです。ですからわたしたちは、一ヶ月遅れの2月の中旬に行っています。2005年の実施は、日本キリスト教協議会とカトリック中央協議会が把握するかぎりですが、日本全体で48箇所であることが分かります。2012年の一致礼拝の実施状況が発表されました。これによると、わたしたちの礼拝も含んで日本全体で22箇所なのです。むろん〔日本キリスト教協議会とカトリック中央協議会〕に連絡しないで行われる礼拝もあるかもしれません。しかし発表された限りにおいて、かつて48箇所→22箇所というわけです。
今年のこのリストで東京教区と記されている部分では、二箇所の会場があります。一つはわたしたちの集会。もう一つは市川市の集会です。つまりそれは千葉県の集会と言うことです。ということは、東京都内で、〔日本キリスト教協議会とカトリック中央協議会〕のキリスト教一致祈祷週間礼拝としておこなわれるエキュメニカル礼拝は、発表された限りにおいては、わたしたちの午後の集会が唯一のもの・・・かもしれないと言うことになります。喜んでいいのか、悲しむべきなのか、複雑な思いにかられます。
もともと多くはなかったエキュメニカル礼拝が、半減以下になるという事実。物事にはおこるべきそれなりの理由があるはずです。端的に言えば、こうした働きは日常の1教会としての維持や継続という観点からは<別になくてもよい>と考えられることはありうると思います。これを進めることで、新たな受洗者や信徒が増えていくわけではありません。人口減少化時代に、教会経営という観点からは後ろ向きにならざるを得ない現実があります。とはいえカトリック教会、プロテスタント教会をあわせても1%をきるといわれる日本で、所属する教派を絶対化して、他教派への違和感、無理解をそのままにして、否むしろこれを利用して、わが教団・わが教会だけがまともだとアピールするあり方もないわけではありません。しかし理屈から言えばむしろ逆のはずです。教会が互いに協力し、手を携えあう姿は、一般の社会に向かっても一つの信仰の証しでさえあるはずです。
ふりかえれば1994年に、コンスタン・ルイ神父の呼びかけで始まったわたしたちの地域エキュメニカル礼拝はやがて20年を迎えようとしています。ルイ神父は差別の中にいる在日コリアンの人々と共に歩むことを目指し、指紋押捺拒否に踏み切り、裁判では国側の検事さんがルイ神父の信仰の姿に心動かされ、洗礼に導かれると言う<奇跡>がおこったのです。また母国フランスの核実験強行において、長らくフランス大使館の前でハンガーストライキを敢行された。
たしかに、それは教会としての信徒獲得や拡張では全くなかった。しかし、その姿勢は、まことにキリスト者らしい決意と勇気にあふれたものでした。新聞にもたびたびキリスト者の良心として報道されました。わたしは衝撃にも似た気持ちをいだきこの人に出会えてよかったと、何度思ったか分かりません。もし教会が教勢拡大以外のことには手を出さない、興味を持たないとなれば、むしろそれは教会の退行と名づけるしかないでしょう。
「教会は他者のために生きるときにのみ、教会となる。」
ナチズムとの教会闘争の殉教者ボンヘッファーの言葉です。
(2012年02月19日 週報より)