あきらめは、しない

ニュースによると<宇宙旅行ビジネス>が始まるようです。日本においてはJTBの社員が宇宙旅行スーツのようなものを着て、記者会見に及んでいる姿が写し出されていました。外国では、アメリカとロシアで本格的宇宙旅行サービスが実現するようです。メニューはいくつかあって一番安いものが地球一周で数千万円。高いものになると、一回100億円をこえるようです。数千万円なら、地球周回の宇宙旅行に出発してもいいと言う人々がかなりいて、ビジネスとして成り立つとか。貧しいわたしにはこう見えてきます。現代世界には、一方に金とヒマをもてあます人々がいる一方で、恐怖と飢餓の中に放置された数百万人、数千万人がいるということです。難民や、紛争はいつどこに飛び火するかも知れず、世界の状況は、他人がどうなっていようが関心を持たず、自分の楽しみだけにとてつもない金銭を浪費する人々がいる・・・・ということです。

日本人にとって8月は悲しみと痛みをもって過去を振り返る時です。60年前、日本の戦況は困難を極めていると人々は知っていたでしょうが、まさか戦争に敗北するとは、多くの人々は思ってもいなかったでしょう。普通の人々にとって変動はいつも突然です。突然、戦争が始まり、突然、空襲に見舞われ、突然、原爆に焼かれ、突然の敗戦。今後悲劇的な突然が決しておこることがないようにと願うばかりです。ただ、人類の歴史や個人の生涯の中に、つらさや苦しみは、おこらないように切望しつつも、決してあり得ないかといえば、そうはいかないかもしれません。社会的な激動、災害、病気、離婚や失恋。

しかし、人はえてして失敗や困難から学びます。旧約聖書や新約聖書が形づくられた捕囚後のイスラエルや、ローマ帝国支配下にあった時代は、底知れぬ暗闇がイスラエルを覆いつくしていた時代であるに違いありません。その時代に信仰者たちは、ただ冷静に時代を分析したり、将来の暗さを予測して、ため息をついていたのではありませんでした。信仰者たちは、そこに見えざる神の支配を見つめていました。大国バビロニヤに対する敗戦と民族の奴隷化という悲劇の中で。イスラエルの人々は、天地創造をされた神が、なお無から、彼ら自身を造り上げることを信じました。ローマ帝国による再度のイスラエル征服の中から、キリスト者たちは皇帝礼拝を拒み、カタコンベの地下墓所の礼拝に連なったのでした。
後の日の、ヒトラー支配下のドイツでも、スターリン支配下の旧ソ連でも、社会における成功と富よりも、信仰に生きることを選ぶ人々が絶えたことはありませんでした。かつてナチ第三帝国は千年続くと豪語していました。またスターリン時代にソ連の崩壊をだれが予測したでしょうか。しかし、絶対と思われた体制も、脆くも崩壊します。

苦しみつつも、神の支配を信じ続けたキリスト者たちの目は、正しかった。同じ一つの出来事や風景も、見方を変え、視点を変えると風景は全く違って見えるものです。神の支配を視野に入れると、人生への明るさ、すこやかさも全く変わるのです。私たちは、あきらめないで、いいのです。

(2005年08月21日 週報より)

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