赦されることの力強さ
あるテレビのドキュメント番組を見ました。登場するのはほぼ90歳前後の男性たちです。皆それぞれかくしゃくとしており、背筋が通って、見るからに健康そのものの、明るい老人たちです。実はこの人々はかつて日本軍の一員として東北地方から召集され、旧満州に送られていた元日本軍兵士たちです。敗戦後5年間シベリヤに抑留され森林伐採などの強制労働においつかわれ、やがて中国当局に戦争犯罪人として告発され、ほぼ6年をかつての撫順の刑務所で過ごした人々です。
日本兵たちはアジアのあちこちで、戦争犯罪を問われましたが、中国当局から戦犯に問われたことは彼らにとっては<意外なこと>だったと、登場する老人達は語ります。戦争犯罪は、あの戦争を指導したリーダー達が負うべきものであって、自分たちは命令され、やむなくそうせざるを得なかったのだから、戦争犯罪に問われるはずはないと考えていた、といいます。
中国管理下の6年、中国政府は元兵士達を、破格の厚遇で取り扱ったそうです。事のすべては周恩来首相の指令で進められたのです。かれらの食事は、一般的な中国人の4倍の食費が当てられたのだそうで、むろん刑務所に働く中国人看守や管理職員よりはるかによい食事が振舞われたのです。そこでは一切の強制労働はなく、捕虜達は読書、勉強会、マージャンなどのゲームに打ち興じたのです。
退屈をもてあますような毎日を過ごしていた、ある日、収容所長は彼らの戦争体験を文章にすることを求めます。誰もが、まずはありきたりの、問題のない文章をしたためます。しかし繰り返し彼らの戦争体験は書き直しが求められます。もと兵士達はかつて、彼らが中国人の村で行ったことを一つ一つ思い起こします。忘れようとして、忘却のかなたに意識的に追いやっていた経験が、掘り起こされます。かれらは、あらためて、明確にそれを思い起こします。
中国当局は一貫して、強制でなく、自発的に、告白を待ちます。部隊でまっさきに、自発告白したのは中隊長をしていた将校でした。数々の中国人の村を焼き討ちにして、罪のない村人を殺戮したことがよみがえってきたのです。確かに命令されて行ったことでした。しかし一人の理性ある人間にもどってそのことを振り返るとき、嗚咽しながら、謝罪を語る以外にすべのないことに気付いたのです。
番組に登場した老人のひとりは、自分は初年兵だったが、最初に行った事は母親が死んでしまった2歳ほどの赤ん坊を銃剣で手にかけて死なせた。なんと言うひどいことをしてしまったのか、とあらためて涙を流しながらかつてのときを振り返って語るのです。一人ひとりの元日本兵はかつてのことを思い起こし、心からの謝罪を口にしていきます。
告白と謝罪を行った、つまり残虐行為を行った日本兵達にたいし、やがて裁判が始まります。何名かの人々に死刑や無期懲役の判決が下ろうとします。しかし、周恩来首相によって、三度、四度と減刑と刑の免除が命じられます。結局一人の死刑も、無期懲役も下らず、もっとも重い人々でも数年の服役が命じられて、元兵士達は帰国が赦されます。しかし、兵士達全員が深い罪責を受け止め、こころからの謝罪の思いを中国人たちに表しました。悔い改めた元日本兵たちは、刑務所の中国人職員と一人の人間として、たがいに深いきずなで結ばれたそうです。いまだに手紙のやり取りをしている人も紹介されます。
ここに登場してきた老人達の、いっぽん背筋の通ったすがすがしさ、明るさのひみつがわかるような気がしました。告白し、謝罪し、それが受け入れられたとき人は新しく歩み始めることができます。
父、母をもち、妻や幼子を持つ普通の市民が、銃を掲げて人間の心を失って、天皇と国家のために鬼になる。そんな時代を二度と迎えてはならない。そのうえ、それだけの被害を受けた中国人たちが、親と死に別れて中国に取り残された数千名の日本人の孤児(一説によると8000名)を、自分の子どもとして育ててくれた事実。忘れてはならないと思いました。
かつては敵対させられていた人間どうしが、この和解と赦しで結ばれる。そこに見えざる神が手を伸ばしておられるような思いがします。
(2009年06月28日 週報より)