おとしもの

1月に2週間ほど、娘がイタリアから休暇をもらって帰国しました。外国にいると妙にナショナリストになるようです。かつてベ平連をつくったOさんだと記憶していますが、留学中に岸信介さんが「タイム誌」の表紙に登場したのを見て、本屋の店頭で目頭が熱くなったと書いていて、ふきだしたことがあります。現在の日本の状況をかなり批判的に受けとめている私に、娘が言います。「お父さん、ニホンやニホン人の事を悪く言っちゃいけないよ。外国で、日本人が築いてきた信用は、それはそれは大変なもの。私は日本人でいるということで、ずいぶんと助けられてきたもの。」

でも、やはり今の日本、どんなにひいき目に見ても、かなり心配があります。小さなことですが、教会の前は2車線の道路ですが、四車線分ほどの幅があります。日曜日に、教会に来る方々のためには、大変便利です。ウイークデーには、自動販売機が教会をはさんで両隣にありますから、多くの方々がジュースを買います。ついでにコンビニで弁当を買ってきたり、ケンタッキー・フライドチキンをわざわざ買ってきて、教会前で駐車して食べます。でも、彼らが去ったあとには時折ゴミが残っています。ジュース、煙草の吸い殻、車の灰皿をそのままからにして、こんもりと吸い殻の山が残っていることもあります。朝夕には犬の散歩をする人が、わざわざ花の前で排せつをさせ、やはり、落とし物がこんもりと・・・。人も、犬も教会の前で満腹したり、スッキリしたりするのが好きなようです。

人が見ていなければ何でもやれる。ルース・ベネデイクトやライシャワーの日本人論の中に、<罪の文化>を欠いた日本人の姿が辛らつに書かれています。最近、日本や中国のあちこちで、旧日本軍が不正に廃棄して埋め立てた毒ガス弾が、腐食して一帯の地下水を汚染し、健康被害が出ていると伝えられています。それ自身とてつもない迷惑ですが、それは実際にかつての戦争の中で、中国の人々の上に、雨あられと降り注いだものでした。毒ガス弾だけでなく、かつて日本軍はチフス菌などを仕込んだ細菌兵器も使ったことが明らかにされています。
路上に落とされた弁当のかすやジュース缶なら片付けは簡単です。でも、歴史に放置した罪は、落とした当事者は思い出したくないだろうが、被害をうけた数えられないほどの人の心とからだに深く刻まれています。アジアの人々と向かい合うためには、何百年たっても消えることのないこうした類いの問題を、われわれが記憶し続けて、行くことの中に、わずかながらの進展があることと思います。
しかし、こうした問題を見つめることは希薄になるばかりです。他人の顔を畏れる文化から、神の顔を畏れる文化に、いまこそ、変えられなくては。

(2005年02月27日 週報より)

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