善と悪を判断する心
列王記上3章に、ダビデ王の後継者としてソロモンが登場します。ソロモンは強大な権力を手に入れ、かつその聡明さは周囲の国々にさえ知れ渡るほどの人でした。ソロモンは深く神を愛し、父ダビデの経験をそのまま受け継いで王権につくのです。そしてある夜、神が夢に現れ『「何事でも願うがよい。あなたに与えよう。」と言われた』(列王上3:6)
つまらない人間なら「さらなる権力と富を!」と答えるところですが、それらはもうすでにソロモンの掌中に握られていたのです。
ソロモンは次のように答えたのでした。
『わが神、主よ、あなたは父ダビデに代わる王として、この僕(しもべ)をお立てになりました。しかし、わたしは取るに足らない若者で、どのようにふるまうべきかを知りません。僕(しもべ)はあなたのお選びになった民の中にいますが、その民は多く、数えることも調べることもできないほどです。どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断することができるように、この僕(しもべ)に聞き分ける心をお与えください。…』と答えたのでした。
<善と悪を判断するこころ>と、正しく<聞き分ける心>をソロモンは神に求めた。これは神に求めることです。先週は与党のこれぞエリートという道をひた走ってきた一人の女性議員の暴力と暴言が話題になりました。多くの人々は笑い話の延長でしたが、わたしには笑えませんでした。教育とは人間を変えるもの、人格を変えるものであってほしいと私は願っています。でもどうやらそうではないらしい。権力への階段を上るための道具と化しているようです。そしてその頂点にいる人もどうやら相当おかしい。善悪が判断できない、聞き分ける心も失っている様子が伝わってきます。最近新聞を読みつつ、教員と警官の犯罪が多すぎます。学校で自殺に追い込まれるほどのいじめが後を絶ちません。時に担任教師がいじめに加わっていたり、自殺に追い込まれるお子さんが出ても隠ぺいをする教育委員会が後を絶たないのです。
人には一応の善悪を見分ける力が備わっています。でもそのことと善を実現し、悪を退けるための行動をすることにはつながらないのです。あの女性議員は立件されれば、行ったことは犯罪として成立するようです。彼女の暴言と暴行は国会内で実は広く知られていたようです。パウロが書き記したフィリピの信徒への手紙1:9にこう書かれています。
『私はこう祈ります。知る力と見抜く力を身に着けて、あなた方の愛がますます豊かになり本当に重要なことを見分けられるように。』
人間が、真に人間的であるためには宗教が必要です。神が必要です。そうでない限り人は自分という存在を神にするのです。ソロモンは<聞き分ける心をください>と祈りました。パウロは<本当に重要なことを聞き分ける力を>とフィリピの人々に語りました。
人は人であることの限界を、常に意識すべきです。それを見失ってパワハラを平気で行うようになったとき当然、女性議員は失格者でした。そして一度は神を動かすほどの祈りをしたソロモンも、やがて王権のもたらす驕りと富の中で国を誤った方向に導くのです。
(2017年07月02日 週報より)