名器ストラディバリといえど
今年9月のはじめにミラノから南西4~50キロのところにある、人口7万人ほどの静かな町クレモナを訪ねる機会がありました。ぜひ一度この町を訪ねたいと思っていましたが、果たせぬ夢であったところです。クレモナは500年前にバイオリン製作で名を成したストラディバリウス、ガルネリを生み出した町です。今でも町中にバイオリンの工房があり、現代のバイオリン技術を世界的に導いています。現代のように進んだ コンピューターによる技術力をしても、ストラディバリをしのぐ美しい音色を奏でるバイオリンを、機械的に作ることは出来ないのだそうです。ですから世界的なバイオリニストはストラディバリのバイオリンを持つことが夢なのです。
ロシアの若い天才バイオリニスト、マクシム・ベンゲーロフは、イタリア人男性と結婚としている富豪の日本人女性から、最近時価1億円もするストラディバリのバイオリンを贈られたと聞きます。500年前のストラディバリ・バイオリン一器がそれほどの価値を持ちます。世界中には600ほどのストラディバリのバイオリンが現存するといわれます。
クレモナにはストラディバリウス・バイオリンの展示博物館があります。ある展示室には宝物のようなバイオリンが鍵つきのケースに収まられて、誇らしげに展示されています。毎日、館員のバイオリニストが、音色を確かめるのです。その日の見学者はごくまばらでした。けれど、盗難防止のため、わたしたちにはぴったりと一人の館員がついてまわります。われわれ夫婦のような、見るからに無害そうにみえる人間でも油断はしないのです。それはそうです。一器1億以上となれば、数十のストラディバリの名器が置かれているその展示室は金額から言えば途方もない価値を持っているのです。
バイオリンは確かに独奏楽器です。その華麗な音は聴衆を酔わせます。バイオリンが特に美しく響くのはオーケストラをバックに協演する協奏曲(コンチェルト)です。演奏者によって、指揮者と共に、何十もの楽器が協力し、響き渡って、ハーモニーを創りだします。ストラディバリのバイオリンがひとりあれば、それで済む話ではありません。金管も木管も、打楽器も、弦楽器も、それぞれが響き渡って、その上に曲によっては演奏者の即興(カデンツァ)による独奏がしみじみと、時には喜ばしく、あるいは悲しげに響くのです。驚くのはそうした楽器一つ一つの音を聞き分けて、適切に指示を与えるオーケストラ指揮者の力量です。
思えば人間の世界も似たところがあります。まずはちがう音色を発揮する、異なった個性を持った人間がいることです。初めに<和>ありきでなく<違い>があることです。違いを殺して同質化を強要するのではなく、個性を最大限発揮することで、他者をいっそう豊かに出来るのです。違いを受け入れ、そこから教えられるのです。
ただ異なりあう個性、違いをもちいて、最大限のハーモニーを作り出す指揮者は神です。指揮者なる神は最大限個々人に、彼でなければ発揮できない個性的な人生を生きることを可能にさせ、結果として厚みのある調和を作り出すのです。
ただ優秀な独奏者が集まって、よいオーケストラが出来るわけではありません。指揮者の音楽への理解、思想をうけとめ、その指示には従わねばなりません。良いオーケストラ奏者であるとは、良い演奏家であるとともに、指揮者の指示を的確に理解し、受け止める意識が求められます。個性が最大限発揮されてもたらされるハーモニー(調和)こそ、ほんもののハーモニーです。そこに感動や喜びが爆発的に湧き上がるのです。
(2007年12月09日 週報より)