心痛む人とともに
わたしたち、とくに有名人などではない普通の人間にとって、人間関係は、さほど広いわけではありません。男性なら職場や取引先の仕事関係がメインであったり、女性ならご近所関係とか、趣味や通っているスポーツジムなどの関係の友達が多いかもしれません。わたしなどは教会関係、牧師仲間という知り合いが中心といえます。もっとも、これはその人の人間性の幅によるので一概にこうだと決め付けるわけにはいきません。ただ、場合によっては、全く日常の人間関係とは異なった方々と知り合いになることがあります。たとえば体調を崩して、病院に入院すると全くちがった分野の方々とおつき合いすることになります。こうしたときに、自分の知らない世界を知ることになったります。
以前わたしが入院をしたときに、下柚木に住む初老のトラック運転手の方と同室になったことがあります。車が過積載で荷崩れを起こし、作業中だったWさんの足を建設資材が直撃し、足のひざの下を複雑骨折したのです。担当医はなおって歩くようになれると言ってくれたそうですが、御本人は職場復帰できるかどうか不安の中にいたのです。そしてWさんは不思議な話を、わたしにしてくれました。会社が、労災を使われるとやっていけなくなるので、「自分でトラックから落ちたことにしてくれないか」と上司に言われたのです。本人のミスであれば会社は全く損をしないで済むからです。結局、泣く泣くWさんは<本人の過失として>病院生活をすることになったのです。過積載を命じたのは会社でした。でもWさんはそれを断ることができませんでした。労災申請もしませんでした。それでも、べつの理由をつけられてクビになるよりましだからです。
弱い立場の人々はいつの時代にもいます。多摩ニュータウンがこうして建設されるために、こうしたWさんのような人や、建設現場で怪我をしたままホームレスになった人もわたしは知っています。去る3月10日は東京空襲の記念日でした。じつは終戦2週間前1945年8月1日に八王子市はB29爆撃機編隊169機の空襲を受け、市街の8割が破壊され、500名以上の人々が焼き殺されたのです。そして数え切れないほどの人々が負傷し、重いやけどを負ったのです。色川大吉さんの昭和史によると、この時けが人をもっとも勇敢に救助しようと試みたのは八王子遊郭の娼婦たちだったと書いています。この女性たちこそ家族の経済的苦境を救うために売られてきた犠牲者でした。苦しみを負う彼女たちは、空襲で重傷を負った人々を身の危険も恐れずに救いの手を差し伸べたのです。
ところが・・・戦後日本政府は進駐軍のための慰安婦としてこの人々を狩り出したのだそうです。気の毒な女性たち。痛ましい人々。わたしには政治の形が変われば、もっとも痛ましい人々を救えるかのように思ったこともありました。社会が自由と民主主義の体制になっても、依然として、苦しむ人々は苦しみ、自己責任の名で放置されます。
振り返ればイエスこそ、心痛むものの味方、差別と排除に加担しない苦しむものの味方でした。明日の社会はよりよいものになっているでしょうか。誰からも愛されず、孤独の中に一人置き去りにされている人々。そう自ら思いこんでいる人々も少なくありません。主イエスがそうであったように、教会は、さまざまな苦しみを負う人々を、わたしの兄弟、家族としていつくしみの眼差(まなざし)を注ぎ続けられるでしょうか。神の愛は、そうした人々にこそ、いっそう強く注がれるのですから。
(2007年03月18日 週報より)