よく生きること
私は1944年10月に樺太で生まれました。私たち家族は、終戦の混乱の中で、樺太から引揚げて来たのです。たぶん、そこまで築きあげた生活も、思い出のつまった持ち物も、すべて置き去りにして、ギリギリのところで、私たち家族は10カ月の赤ん坊の私を連れて、軍艦に乗って無事、北海道に帰還したのです。家族が一人も欠けることなく、本土に生還できただけでも有り難かったともいえますが、その辺の事情について、両親は、ついに一言も私に話そうとしませんでした。思い出すことさえつらかったのでしょう。しかし、父の多くの友人たちがシベリヤ抑留を経験しました。もっともスターリンは、その恐怖政治の中で二千万人のロシア人を強制収容所に送り、死に至らしめたといわれます。捕虜として、戦犯としてラーゲルに送られた日本人の苦しみは、はかりしれないものだったでしょう。食事として出されるものは、一応パン、スープとよんだらしいのですが、とても通常考えられるものではなかったと言います。それでも空腹と栄養失調ギリギリの人々にとっては、命を支えるものだったようです。しかし、どうしてもタバコをやめられない人々がいました。そうした、ギリギリ命を支えると分かっている食事ですが、タバコ好きな人々は、一回の食事を、一本の巻たばこと交換したのです。それは自分の命を、一本の巻たばこと交換するものでした。そうして多くの人々がシベリヤの土になっていったそうです。
これと逆の話しを聞いたことがあります。
タイタニック号の沈没にさいして、ごくわずか、ボートに引き上げられた人々がいました。恐怖と氷海の寒さの中、氷点下の空気にさらされ、凍りつく暗い海の漂流は、絶望的なものだったでしょう。いつ助けが来るのか、いかに自分自身を保って、寒さに耐えていくのか、体力と精神力が試されました。その中に豪華なダイヤの指輪をつけた女性が、空腹に衰弱しつつあったのです。彼女はその豪華な指輪を、一個のオレンジと交換して、命を長らえたと言うのです。
私たちはいま、シベリヤの収容所でもないし、北極海の氷海に漂流しているのでもありません。でも、やはり生は、死と、隣り合っているといえなくもありません。ある意味では人生を漂流しているし、げんに、とんでもない多くの人々が死を選ぶ社会に生きています。現実的には戦争のない、今何か迫る危機が存在するわけではない、平和の社会に身をおいています。だから、ほんとうは、こんなに恵まれた時はない、と言えるのです。けれど、そんな実感は、どこにもなく、なんだかモノ悲しい、なんだか分からない不安を抱えて生きている人が多いのです。孤独感に押し流されて、日々を歩む人も少なくありません。
けれど、じつは、ひとりの人が生きていく上に、どれほど多くの人の思いやりや、祈りや、愛が注がれていることでしょう。人は決して一人などではありませんし、たとえ家族に恵まれていなくても、あなたをこの世に押し出し、祝福から祝福に導く神がいます。現代人は、物や金の魔力に引きづられて、本当に大切な人との連帯や、愛や、他者の為に生きる自己犠牲という価値観を失いかけているのです。ラーゲルでタバコを欲しがるような、北極海でなおダイヤの指輪を手放さないような生き方が多いのです。
よく生きた人だけが、よく死ぬことができるのです。人はその生き方を、日々、他者の心に刻み付けて、生きていきます。今日わたしは、どういう像を他人の心に写し出しているかよく考えるべきなのです。そして、神への信仰なくして、よく生きることは、むつかしいことなのです。
(2005年10月30日 週報より)