人は人を裁きうるか

聖書には神による選びという考え方があります。しかしなぜ神はサウルを捨て、ダビデを選ばれたのか不思議といえば不思議です。見方によれば罪や悪事から言えば、ダビデが捨てられても不思議はありません。少なくもダビデが選ばれ、サウルが捨てられることは平等を欠くことです。神は人を裁きうる方ですが、

最近、永山則夫という人についての文章を読みました。数ヶ月前NHKのETV特集で「永山則夫100時間の告白~封印された精神鑑定の真実」という放送(わたしは見ていません)を作った堀川惠子さんなる女性が雑誌「世界」に書かれた文章がそれです。堀川さんは、八王子医療刑務所に勤務する精神科医石川義博さん(現74歳)が永山則夫と交わしたカウンセリングの録音テープがあることを知り、このテープを聴く中で事件の背景にある家庭状況こそ事件を作り出した根本原因であることを突き止めたのです。しかし裁判公判でこのテープが顧みられることはなかった。

永山則夫は1950年生まれで1969年に全国で4人を射殺し、死刑判決を受け1997年に処刑されたのです。話の発端は永山の母の悲しい生い立ちから始まります。永山の母ヨシは北海道の利尻島に生まれます。2歳のとき、漁の遭難により父を亡くします。ヨシは母と共に樺太に渡ります。彼女は子守をしながら家計を助け小学校には行くことができなかった。時に生活に窮した母はヨシと心中を図ることも試みたが、命を果てることはなかった。やがて母は男と再婚をした。ヨシは義父から性的暴行も含め夜毎に虐待を受けた。縄で縛られて天井から吊るされ殴られたのだそうだ。やがて母は別の男と結婚をし、ヨシをおいて新たな夫の実家のある青森に行ってしまう。やむなくヨシは奉公先の主人に連れられて「すぐ隣町と思っていた・・・」ロシア極東の町ニコラエスクに渡る。その頃、その町でロシア兵による日本人焼き討ち事件が起こり、700名の日本人虐殺事件が起こり生存者は十数名と伝えられた。ヨシは放浪している中シベリア出兵から帰還する日本軍に助けられた。戦後母ヨシは子供8人を食べさせるために終日行商に追われた。永山の父は手におえないやくざ者で、金目のものはばくちで使い果たしてしまう人物で、一家が極貧にあえぐ中、妻と食べ物を求める子供たちを置いて姿を消した。そして母も4人の子供たちを厳寒の網走においたまま、実家のある青森に行ってしまいます。子供たちはゴミ箱をあさって飢えをしのいだ。親から見捨てられた子供がどれほどの絶望においやられるかを、同様に親による虐待を味わい尽くした母は知ろうとせず、理解もしない。

やがて残された子どもたちを母は青森に迎える。けれど永山は7歳年上の次男から毎日ひどい暴行を受ける。毎日、気絶するまで殴られ続けた。その永山を母は無視した。やがて1965年(東京オリンピックの翌年)、つまり中学を卒業した永山は逃げるようにして、家から逃げ出した。逮捕されるまでの3年半永山は20の職場を転々とする。母に捨てられた過去、家出してやがて無残に死んだ父、だれも信じることの出来ない人間不信の中から、彼の転落は路上生活に落ち、リストカットを繰り返し、やがて少年鑑別所に送られ、そこでも凄惨なリンチに見舞われる。両親から捨てられ、兄弟からひどい虐待を加えられ、社会からも捨てられたと受け止めた永山は内側に憤懣と憎悪を溜め込み、やがてそれは見ず知らずへの他人への凶行として事件に行き着く。

しかし拘置所の中で良心的な精神科医と出会い、心の内側を見つめるようになっていった永山は過去の永山とは別人になっていったように見える。永山はむさぼるように本を読み、英語を学び、やがて獄中手記「無知の涙」を書く。これに関心を寄せた出版社が現れ、本は爆発的に売れ、印税は1100万円を越えた。やがて永山は自分が殺してしまった被害者の遺児にその印税を送ったのだそうだ。この記事にはそうした頃の永山の写真が掲載されている。暗い過去を引きずっている人には到底見えない美しい笑顔がそこにある。

永山であろうとだれであろうと、人生でたえがたい重荷を背負い込んでいる人は少なくない。人には決して話すことのできない恥や、怒りや、憎悪であったりする場合もある。4人の無関係の人々を射殺したという永山の行為について、つきるところ彼自身がその責めを負わねばならないのはやむをえないかもしれない。しかしこうした永山の人生を作り上げた根本原因の多くは、直接的には親からの虐待であり、最近の脳の画像診断において、幼少期の虐待は脳の成長に大きな影響を与え、虐待された子供の脳の発達は左右で異なる場合もあるそうだ。永山の人生のゆがみは虐待から来ていることは明らかである。幼い頃、この人の周囲で、だれかひとり深くこの人を徹底的に愛する人はいなかったのか。

この永山がひとりの精神科医による聴き取りの中で、変えられていったことは永山の人生のひとすじの光です。出版された永山の本を読み、その人生に深く同情して、永山と獄中結婚を果たした女性まで現れた。神は犯した量(かさ)によって人を裁かない。それが聖書の原則ではないだろうか。まさにダビデとサウルをめぐる神の不公平はそこにあります。永山事件はわたしからは、はるかかなたの出来事です。しかし、もしかすると今日誰かに優しい言葉をかけ、愛に生きることが、どん底にある人を救うきっかけにつながるかもしれない。 

(2012年12月02日 週報より)

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